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新興宗教のセミナーに通って、怖いと感じたこと

新興宗教のセミナーに通って、怖いと感じたこと

<2017.12.9>

少し前、新興宗教の類に何度か顔を出したことがあった。
初めはスピリチュアルセミナー的なものと思い込んでセミナーに通うようになり、後からこれは新興宗教なのだと気づいた。

最初の1、2回は、割といい話かなと思いながら聞いていたが、回を重ねても、通り一遍で、どこかで聞いたような話ばかりだった。心に響かない。

人のためになることをしよう、人を幸せにする人が恵まれる、善行を積めば、いつかそれが報われて幸せになる。そんな風な教えだ。

それだけを聞くと、そんなに悪くない教義のようにも思える。もう少し前、私が何かにすがりたかった頃ならば、その教えにしがみついてしまったかもしれない。

けれど、悩んで考えて出した結論は、他人を優先しすぎる生き方は、自分を幸せにはしないということだった。

自分を犠牲にして他人を優先する人は、他人の気持ちと言う曖昧なものに自分を預けるしかない。優先する他人が1人のときは、まだどうにかなるかもしれないが、それが2人3人と増えてきた場合には、結局誰の気持ちを優先したらいいか分からなくなる。人によって求めるものが違うからだ。

だから、人を優先することをやめた。人を優先していたのも、純粋な気持ちではなく、私がやっていたのは、人からいい人間と思われたいという自己防衛だったというのもある。

そして、その新興宗教の中心的な教え、「人のためになることをしよう」という教義にも、疑問を感じた。具体的に何をすれば人の為になるかは、結構難しい問題だ。
良かれと思ってやったことが、相手にとってはよくないことも世の中には沢山あって、自分の善意を押し付けることを善行と疑わないのは、どこか自己中的すぎる感じがする。

「人の為になること」を否定しているわけではなく、「人の為」が、ただのひとりよがりかもしれないという視点は忘れずに、「人の為になること」をしたいと思うのだ。

そして「善行を積めばいつかは報われる」という教え。いつか。今ではないいつか。
いつか来るかも知れない未来を思って、今を犠牲にする生き方は、苦しい。未来のために今があるわけではない。いつかではなく、今幸せになりたいと思う。今この瞬間を幸せに生きたいと思う。

「人の為」と思わず、「自分がしたいからこの行為をする」と思えたら、いつかではなく、この瞬間に幸せになることができるのでないだろうか。例えば、それで相手が感謝してくれなくても、することが喜びになる。

期待や執着がないから、「こんなにしてやったのに、わかってくれないあなたが悪い」という恩着せがましい感じや、非難も出てこない。

結局、この宗教団体では、私が感じたその辺の問いに対する明確な答えを出してはくれることはなかった。

よく考えてみると、多分、無力で不幸せな人でいる方が、入信させたり、寄付させたりするには都合がいいのだろうと思う。
自分は頼りない存在で、外に救いを求めたい人の方が、熱心な信者になりやすい。
団体を維持していくためには、そういう信者が沢山いた方が都合がいい。そのためには、今不幸でなければならず、今幸せであっては困るということなのだろう。

「他の人は知らない崇高な教えを実践している自分」をよりどころにして、それを知らない人を可哀想と思うようにもなりたくない。

そういうカラクリが見えたので、そこの宗教セミナーに通うことはなくなった。
特定の宗教への信仰を否定するわけではない。それがその人にとって救いになるならば、何も言うことはない。
ただ私自身は、今現在、特定の宗教団体に入りたいとは思っていなくて、特定の形にとらわれずにゆるく生きたいと思う。

数回通っただけで、親しい人に誘われたわけでも、その団体で強い人間関係ができたわけでもなかったので、ひっかかりなく辞めることができた。狂信的なカルトといった団体ではなかったのも、幸いした。

ただここで濃密な人間関係ができてしまうと、教義に矛盾を感じても辞めることはなかなか難しいのではないだろうか。居場所を求めている人が、その宗教が自分の居場所だと思わされてしまうことは、怖いことなのではないかと思う。

会合に来ている人の多くが、優しく善良で、ただ周囲との関係性に傷ついているような印象を受けたので、余計にそんなことを感じてしまう。





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