「みんなの生きづらさ」に投稿くださる方のこと
<2017.11.26>
サイトを運営して、はっきりとは記憶していないのだが、もう3年以上が経つ。
自分の気持ちにだいぶ変化があった。サイト開設した頃のように、状況に振り回されて一喜一憂することが少なくなって、自分のことを肯定的に見られるようになってきている。文章を書くのは時に苦しいことだけれど、自分の思考を整理して客観的に見られるツールでもあって、私には合っているのだと思う。
そのやり方がすべての人に合うとは思わないけれど、ある一定の人たちには心を楽にする効果があるんじゃないかと思う。
そういう理由から、生きづらさの投稿を募集している。私自身が生きづらさに共感してくださる方を見つけたいと言う気持ちもある。投稿くださった方は、今(2017年11月)時点で、のべ117人。投稿を読むたびに、それぞれの人たちが抱える生きづらさに、胸が突かれる思いがする。早くそこから解放されることを願わずにはいられない。
投稿くださった方には、サイトにアップした連絡と投稿のお礼、その内容について感じたことをほんの少しだけ返事を書いて返している。それを負担に思う方もいるかもしれないと思いながら。
それについての反応は、主に3つに分けられる。アドレス違いでそもそも私のメール自体が届かない方、何も返信がない方、中には、丁寧な返信を下さる方もいる。
こう書くと返信を下さる方がいいようだが、そうは思ってはいない。
もちろん丁寧なお返事は、すごく嬉しいし、サイトを運営していく励みにもなる。感謝もしている。
だけど、生きづらさを投稿くださったことで既に完結していると思っているので、それ以上を求めることはしないようにしている。
サイトを見て何かしら感じて下さって、自分に向き合って書くという、一見面倒な行動起こしてもらえただけで、もう十分素晴らしいと思っている。自分を見つめ直し、小さな行動を積み上げて、生きづらさから抜け出してほしいと思う。
アドレス違いで私のメールが戻ってくる人に対しては、本当のアドレスを書くことができないくらいに傷ついているのだと思っている。
投稿くださる方は、大体この3つのタイプに分けられるのだけれど、たった1人この3つに当てはまらない人が過去に1度だけいた。
投稿下さってそれをサイトにアップし、そのことを投稿者に知らせると、翌日返事が来た。「ネットに上がっていることが耐えられないので、すぐサイトから削除してほしい」という内容だった。
それを目にしたとき、心底心が痛んだ。
ハンドルネームだし、投稿内容はごく短いもので、人物が特定されるようなことは何も書いていない。
けれどこの投稿者は、生きづらいという自分が抱える思いを、ネット上に存在することさえ許せないのだと感じたからだ。多分、日常生活でも我慢に我慢を重ねて、自分の思考さえなかったものとして抑圧しているのではないだろうか。
そこに想像を絶する、苦しみを見たような気がしたのだった。
その後その投稿者からは何もご連絡がないので、今どういう気持ちを抱えているのかわからない。
思考や思いや湧き上がってくる感情は、自分のものだ。それがたとえネガティブなものでも、それは自分の偽りのない気持ちだ。
そういう気持ちが自分にあることを許してあげてほしいと思う。
あのときの投稿者は、生きづらいと思ってしまう自分を認められるようになっているだろうか。
時々ふとそんなことを考える。