気づくと、引き寄せの法則難民になっていた
<2017.12.20>
以前に引き寄せの法則を信じていると言う記事を書いたことがある。
強くイメージすれば願いは叶うというようなことではなく、自分が出す波動に呼応したものが引き寄せられるという意味で、引き寄せの法則は存在しているということを書いた。(「引き寄せの法則があるかと聞かれれば」)
それもあって、自分が何を考え、どういう意識状態でいるかと言うことは結構気にかけていた。
ただ、ある悩みができて、それが心を覆ったとき、その悩み以外に関しては肯定的な見方ができるのだが、その悩みに関しては恐れが出てしまって、それを拭い去ることができなかった。その悩みは、今は起こっていないが将来起こる可能性があることで、私が絶対に起こっては欲しくないと思っていることだ。
恐れを感じる気持ちが更なる恐れを引き寄せるような気持ちがして、余計怖くなっていた。
恐れを感じてしまう自分を恐れていたのだ。
そのことをスピリチュアルに詳しい友人に相談ししてみた。
「こんなふうに怖がっていたら、もっと怖いことが引き寄せられるよね?」
友人の答えは、「そんなに怖いことがあるなら怖がるのも当然だよ。怖がる自分を認めてあげてもいいんじゃないかな」だった。
「怖がって当然」その言葉を聞いたとき、風穴が開いて、モヤモヤしたものが吹っ切れたように感じられた。
怖がっているのに怖がっていないふりをしても、それはただのふりに過ぎない。実際ある感情に蓋をして、見ないようにしても、その感情がなくなったわけじゃない。
私のように、引き寄せの法則に振り回されて、ポジティブな気持ちでいたいのに、そういられない人のことを「引き寄せの法則難民」というらしい。
引き寄せの法則を信じすぎて、それが「ポジティブでいなくては」「いい気分でいなくては」という足かせになって、苦しい気持ちを呼び起こしていた。
そこに、とらわれてしまっていた。とらわれすぎると自由じゃなくなるし、自由じゃない気持ちは、もちろんポジティブでも良い気分でもない。今思えば、執着があったと思う。
なぜみんながこんなに引き寄せの法則に惹かれるのかというと、自分にとって良いと思われるものが引き寄せられる、その法則性にあると思う。
世の中に起きることは、ときに無常で不条理だ。何も悪いことをしていなくても悪いこと(それは自分がそう捉えているだけかもしれない)が、起こる場合もあるし、その逆もある。
引き寄せの法則を信じすぎるということは、あるがままに起きることを、ただそのままに起こさせておくことを許さずに、なんとか自分がよい(と思われる)ことを得たい、悪い(と思われる)ことは免れたいという気持ちが隠れている。
状況をコントロールしようとする気持ちがあって、それはつまり、恐れがベースになっている。
そこに気づいたとき、良い気分でいよう、楽しい気持ちでいようというのは良いことだと思うが、そこにとらわれすぎてしまっては、元も子もないということが理解できた。とらわれすぎて不自由になるくらいなら、引き寄せの法則を信じない方がマシなのではないだろうか。
状況をコントロールしたいというのはエゴで、エゴに振り回されている限り、本当の意味で苦しみはなくならないと思う。
そんな感じで、今、引き寄せの法則にとらわれすぎないようにしている。元からの悩みはなくならないが、それを恐れている自分を否定しないでいようと思う。