自分の考えは絶対正しいと思い込んでいる完璧主義の母との確執
母とは離れて暮らしている。もう実家に帰ったが、先日母が遊びに来ていた。
このブログでも何度か触れているが、母は口うるさい。下手をすると口を開くたび、小言と説教ばかりになる。
母が来る前は、優しくしよう、ぶつからないよう決めていても、いつも衝突してしまう。全面衝突に至らなくても、私がどこかぴりぴりしている。
母が私を愛してくれているのはわかっている。
わかってはいるけれど、そのやり方は稚拙すぎて、同じように稚拙な私には受け止めきれない。
母は部屋がきちんと片付いていないと、清潔でないと許せない性格だ。
働き者で始終くるくるとよく動く。それだけなら美徳だが、その自分が考えるマイルールを人にも強要する。
目についた不満を少しも黙っていることができない。押し付けて是非ともやらせようとする。
きちんとした几帳面な人は、ときに他人を裁く人にもなる。
自分が抱く不満がすぐに正されなければ気が済まない。それが正されるまで根気よく終わることなく主張する。
私のコンディションや、そこが娘の家で、当の私がそのやり方を望んでいるかどうかなんてことは、少しも気に掛けることはない。私が疲れていようが急いでいようが、お構いなしだ。
自分の言うことは絶対に正しいのだから、それを妨げる理由なんか、あるはずがないと思い込んでいる。
そして私が根負けして、母の言うとおりにしたとしても、また次の要求が小言となって現れるだけだ。
決して終わりはない。一つが終わればまた別の気になることが頭をもたげるのだ。完璧主義者、それも自分だけじゃなく他人にも課す完璧主義は、自分が気にかかることに対しては神経質この上ないが、他人がどう受け止めるかという点には全くの無神経だ。寛容さはない。
あまりに寛容的でないから、この人は私のことを好きではないのかと疑うほどだ。
けれど、そうではなくて愛はある。ただやり方があまりに稚拙なだけだ。
私は他者に全てをコントロールされるのは嫌いだ。考え方、感じ方まで操作しようとするのをやめてほしい。
それを母に伝えたいけれど、これまでも何度か伝えようとしたが、母には私が何を言わんとしているかが理解できない。何度衝突してぶつかってケンカになっても、私が何かに対して怒っていると思うだけなのだ。
そう、私もいつも被害者の位置にいたわけではなくて、ときに激しく怒って加害者となり、母を追い詰めた。
私の考えを理解しなくてもいい。理解しなくていいから、私が私の思う通りに感じることを許してほしい。
私が母と同じようには考えないことを許してほしい。
母とは違う別の人間だということを認めてほしい。
被害者や加害者のポジションにとどまる限り、この不毛なドラマは永遠に終わらない。
自分の怒りの反応に振り回されて、不健全なただ中にいることに気づくことができなかった。
今は、わかる。
変化は、その事象を認識することから始まる。まず気づくことだ。
被害者でも加害者でもなく、別の視点からこのドラマを見ることができれば、不毛な消耗戦から抜け出せる。
それは母との関係を終わらせるということではない。
二人の関係を別の視点から捉え直すということだ。
今、その道を探っている。多分もう少し時間がかかる。
(他の母親の記事「口を開けば愚痴ばかりの人」、「小言や文句の多い母親のかわし方」、「他人の愚痴や悪口をいう人の心理」、「母の中のインナーチャイルド」)