母の中のインナーチャイルド
<2016.7.19>
先日も母のことを書いた(「自分の考えは絶対正しいと思い込んでいる完璧主義の母との確執」)がもう少し母とのことを書いてみたい。
母と接していて一番嫌なことは、コントロールされることだ。
私によくなってほしいのはよく分かる。分かるが、それは母の思うところ、母の価値観に基づく「よくなる」だ。母以外の人間関係でも、このコントロールが見えると身構えてしまう。
本人が思うところの正しさをで圧迫されると、思いがけない反応が出てしまう。
過剰反応というやつだ。
親が子供によくなってほしい、幸せになってほしいと願うことは、ごく一般的なことだろう。けれど、そのよくなってほしいが高じて、自分が思うままに従わせようとすれば、初めの思いは伝わらなくなってしまう。
私の為なのか、母の欲求を満たす為なのかわからなくなる。
私の行動を褒めないで自分の主張を繰り返す母から受け取るメッセージは、「今のお前ではダメだ」ということに尽きる。よくなってほしいということは、裏を変えれば今はの私はよくない、つまりはダメだということだ。
条件付けの愛情を感じて、反発してしまう。
小さい頃、あるがままの私を認めてくれて、その上で「こんなやりかたもあるよ」「こんな風にもできるよ」と言ってくれたなら素直に聞けたんじゃないだろうか。
受容なしに変化を強いられれば、人は心を閉ざす。
イソップ寓話の『太陽と北風』の話を思い出す。
旅人のコートを脱がせようと北風と太陽が勝負をする。北風が力いっぱい冷たい風を旅人に吹きつけてコートを吹き飛ばそうとしても、旅人は脱がされまいとコートの襟を固く締めてしまう。次に太陽が暖かな光で旅人を照らすと、身体がぽかぽかしてきた旅人は、ついにはコートを脱いでしまうという話だ。
この話の教訓は、厳罰的な態度で臨めば人は気持ちを硬化させ、寛容的に接すれば人は気持ちを解くということだと思う。
でも太陽は暖かく照らす資質をそもそも備えているが、北風には強く激しく風を吹きつける以外の術を持っていないのではないだろうか。
母のやり方は、北風だ。
母の母、祖母も厳しい人だった。激しく吹きつける以外のやりかたを身に着けることができなかった。
母の心の中にも、その自分じゃダメだと言い続けられてきた可哀そうな子供が住んでいる。
インナーチャイルド、内なる子供は、泣いている。
不満を常に言い続けて人を従わせようとする母は、どこか不幸せそうに見える。
その北風に育てられた私も、沢山の認知の歪みを抱えている。
母の気持ちを変えようとすることもまた、私が母に対して行うコントロールに他ならない。
今、母のいいところが見えなくなって苦しい。
(他の母親の記事「口を開けば愚痴ばかりの人」、「小言や文句の多い母親のかわし方」、「他人の愚痴や悪口をいう人の心理」、「自分の考えは絶対正しいと思い込んでいる完璧主義の母との確執」)