不安から誰かに依存すれば関係は壊れるし不安も消えることはない
最近あるスピリチュアルの先生に依存気味だ。その先生が主催するセミナーにもかなりの頻度で通っている。
色々な気付きをもらって、少しずつ最悪の状態から脱しつつある。悩みや苦しいことがなくなったわけではないが、希望が見え始めている。
その話をスピ友に話すと、「よくなるのはいいことだけど、頼り過ぎないようにね」という答えが返ってきた。
依存している自覚はなかったけれど、その傾向は多分にある。
素のままの自分…もちろん全くの素ではないが、だいぶ素に近い自分が許容される空間は、私にとって貴重で掛け替えのないものだ。
今まで持っていなかった様々な視点をもらって、その視点から眺める世界は少しずつ変化している。
今までとは違う自分に変われそうな予感が、気持ちを明るくする。
ただ、指南してもらおうという気持ちが高じて、自分で考えるのをやめて少し依存気味になっていたかもしれないと思う。
先生の言う通りにしていれば間違いないよねと思ってしまうのは危険だし、自分の言うことが絶対というようなことを先生も言ってはいない。
誰かに人生を預けて、自分で考えて行動しなくなるのはある意味楽だ。
でも人生は自分のものであって、他の誰のものでもない。
楽な方に流れて、きちんと自分の意思で考えることから少し逃げていたかもしれないと自戒する。
これはその人を尊敬していないとか信頼が損なわれたということではない。
むしろその人を大切に思うからこそ、自分の人生の全てを預けちゃいけないんだと思う。
初めて恋人ができたとき、自分の全てを預けて依存した。それまでの自分を全て明け渡して全身で寄りかかった。
そんなふうにべったりと自分を失くすことが恋人関係だと思い込んでいた。
辛い現実から逃げ、彼に救ってもらおうとした。
不安を払拭しようと泣いて喚いて癇癪を起こして、私ってこんなに可哀そうと被害者ぶることで相手を支配しコントールしようとした。
誰も人の人生を背負って走り続けることはできない。
それは愛情なんかではなく執着だった。執着すれば相手は離れていこうとする。離れていくのがわかるから余計に執着する。
恋人や家族や友人、どんなに好きな人でもどんなに頼りがいがあっても、依存しすぎれば相手は潰れてしまう。
潰れない為に、彼が取れる唯一の方法は、私と別れるということだった。
そうして彼には好きな人ができ、結局別れた。
アルコールや薬物依存など、物に対する依存もタチが悪いが、人に対する依存は、親密なだけなのか依存症の範疇なのかが見えにくいから厄介で危険だ。
自分に自信がなく、肥大した不安が根っこにあった。
不安から逃れようともがけばもがくほど、依存すればするほど、関係は壊れていく。不安も消える事はなく、より増殖していった。
もう同じ轍は踏みたくない。不安があってもそれに折り合いをつける術を少しだけ身に着けられたと思う。
自分の人生には自分で責任を取りたい。きちんと自分の足で立って、この世界に属していたい。
その上で健全な人間関係を築いていきたい。
スピリチュアルの先生を尊敬しているからこそ、自分の軸を一本置いて、色んなことを吸収していきたいと思う。