人を支配するダブルバインドというパワハラ

最近ダブルバインド(二重拘束)という概念を知った。ダブルバインドとは、ウィキペディアによると、
「ある人が、メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状況におかれること。
(中略)誤解を承知でわかりやすく喩えると、親が子供に「おいで」と(言語的に)言っておきながら、いざ子供が近寄ってくると逆にどんと突き飛ばしてしまう(非言語的であり、最初の命令とは階層が異なるため、矛盾をそれと気がつきにくい)。呼ばれてそれを無視すると怒られ、近寄っていっても拒絶される。子は次第にその矛盾から逃げられなくなり疑心暗鬼となり、家庭外に出てもそのような世界であると認識し別の他人に対しても同じように接してしまうようになる」ウィキペディアより引用
のだそうだ。
グレゴリー・ベイトソンによって提唱された。
これを知ったとき、前に働いていたビルに入っていた別会社の社長(「常に怒っている人-2」)のことが思い出された。あの会社で行われていたあれは、ダブルバインドだったと思う。
直接の上司ではないから、そこの事務員さんに聞いた話が殆どになるが、そこの事務所に行くと、たびたび社長の怒声が響いてきて、自分が怒られているわけではないが、いつも心臓がバクバクした。
親が子供に行うダブルバインドは、無自覚に行われるものが多いように思うけれど、この社長はかなり戦略的に使っていたと思う。
無自覚に行われる方がましだと言っているわけではなくて、親が無自覚に行う場合にはより根が深いと思っている。
この社長は、新しい従業員が入ってくると、洗礼とばかりに業務上のちょっとしたことに難癖をつけて激しい怒りをぶつける。
怒りを爆発させ相手に恐怖を覚えさせることが目的だから理由なんかどうでもいい。
というか、難癖をつけやすいように、何をどこまでやったらいいかをわざと曖昧にしておく。
曖昧にすることで、いつでもどんな理由ででも怒ることが可能になる。
この人って怖い人なんだと思わせれば成功だ。恐怖で、人を支配することで、最大限の譲歩を引き出せると考えているようなところがあった。
これが、支配とコントロールの第一歩だ。
何をどこまでやったらいいかが曖昧だから、大体の人は社長に指示を仰ぐ。
すると、「そんなことは自分で考えろ。お前はそんなことも分からないからダメなんだ」と罵声を浴びせられる。
これが第1のメッセージ。
それならと独自の判断で仕事をしていると
「俺に黙って進めるとはどういうことだ。誰もこんな指示を出していない。お前にどんな権限があるんだ。俺に黙って勝手にやるな!」と烈火のごとく怒りだす。
これが最初のメッセージと矛盾する第2のメッセージ。
正しいことがどっちに触れるか分からないから、何をどこまでやったらいいかがわからなくなる。
日によって怒るポイントが違う。その日はよいことが翌日にはダメになる。整合性がない。
行為に対して怒っているのではなく、怒ること自体が目的なのだ。
そこには絶対に自分に歯向かうなとの強硬なメッセージが込められている。今現在反抗していなくても、未来にわたって反抗の芽は徹底的につぶしておきたい、その人の全てをコントロールしたいという思惑が隠れている。
「自分の判断でやれということでしたので」とか、矛盾点を指摘することを言おうものなら、火に油を注ぐ。
「余計な口を挟むな。俺のいうことに従っていればいいんだ!」と激昂する。
この命令が下ることで、反論は禁じられ逃げることができなくなる。
俺が不快になることは一切するな、俺の意向は言わなくても全て汲めということなのだが、別な人間である限り土台無理な話なのだ。
何をしても何を選んでも、結局罰せられる。そしてそこから逃げられない。
これの繰り返しだ。あらゆる場面で二重拘束というパワハラが続く。
この理不尽な矛盾した状態が続くと、人は混乱する。やがて、委縮し自分では動こうとしなくなる。
何をしてもしなくても火の粉が降るかかるのなら、動かない方がましだと考えるようになる。
従順だが無気力な人間になってしまう。
人はそう捨てたものではなくて、根本では他者の役に立ちたいとどこかで願っていると思う。
決してお金のためだけに働いているのではないとも思う。けれどその思いは、ことごとく潰される。
他者貢献感を少しも持つことができない職場は、恐ろしい。
ダブルバインドの手法が、会社の為になっているかと言うと、なってはいない。
数日と持たず1日で辞めていく人も多かった。せっかく育てた人が出ていってしまうのも会社の不利益になる。
けれど、そんなことはどうでもいいことのようだった。
他者に出し抜かれたくない、損をしたくない思いに突き動かされていたのかもしれない。
人を信じることができない人だったのだろう。
ここまで圧の強い上司は、後にも先にもこの人だけだ。
どうやってダブルバインドの方法を身に着けたのか知る由もないが、この人にとってはコミュニケーションのあり方だっただろう。人を支配しコントロールするという意味に於いては、効果は絶大だ。
どんどん表情を失くしていく事務員さんが、どうして働き続けられるのか不思議だった。
こんな状況に置かれたら全力で逃げるしかないと当時は思っていたし、今もその思いは変わっていない。
(こちらも併せてどうぞ「常に怒っている人-2」)