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他人の愚痴や悪口をいう人の心理
以前にも書いているが、母は愚痴や小言が多い人だ。
加えて人の悪口もある。
悪口と愚痴って似ているけど、止むにやまれず口を付いてしまうのが愚痴なら、悪口は言わずにいられない切実な理由がないのに言ってしまうのが悪口じゃないだろうか。ただ言いたいだけ。
disる、人を下げ貶めることで多分自分が偉くなったような感覚を覚えるのだろう。
意識的にやっているとは思わないけれど。
例えば父に批判が向かったときは、母は父と暮らしているので母的には言わずにいられないものがあるのだと思うから愚痴だと思う。だけど、私の友達とか、私に属する側の人間にも向けられたときは、別に切実に思うところなんかないと思うから、ただの悪口なんだろうと思う。
母のそういうところが嫌いなのだが、私は一人っ子だし、多分無自覚に母をモデルにしているような気がする。
私のコミュニケーションの取り方は母に似ているのだろうか。そう考えると怖くなる。
悪口を言うのがモラル的によくないから言いたくないとか、スピリチュアル的には波動が下がるからとか、そういうことも理由の一つだけど、一番大きな理由は、恣意的に感情を操作されるような気がするからだろう。
悪口を言われている人について何も思うところがないのに、少なくともその時点で何も思っていないのに、その人についての不満を引き出される感じだ。
結局不満が出てこないこともあれば、そういえばそういうところもあるなと感じることもあるが、いずれにしても、その時点で考えていないことを敢えて考えされられることが、操作性を感じさせて嫌なのだ。コントロールされている気がする。
せっかくニュートラルな気持ちでいたのに、不満の感情を注入されたくない。
悪口を何かイベント事のように楽しんでいる母のことを嫌っていたが、最近心理学のセミナーに参加するようになって、母の根底にあるのは「惧れ」なんだということがわかった。
人を順位づけして見下して、相対的に自分を上げるのも、惧れ、不安といった感情に根差していると気づいてから、母に対する見方が少しだけ変わった。
私も常に不安や惧れがある人間だ。それが厄介な感情だということも理解している。
下手をするとそれに飲み込まれてしまいそうになる。
私は惧れがあると、人とコミュニケーションを断って、関わらないことで惧れや不安から逃れようとするが、母の場合は、人の悪口や不満を言って自分が高みに立つことで、自分の無価値感を感じないようにし、無意識に惧れや不安を遠ざけようとしていたのだ。
母の心理を考えると、母も私と同じように不安が多い人だったのだ。
だからと言って、母の行為を肯定はできない。でも理解はできる。
少しだけ母に対する理解が進んで、前よりは優しい眼差しを持てるようになった。
もちろん他人の愚痴や悪口をいう人の心理が、全て惧れや不安に根差しているとは思わない。
だけど、どんな理由があって愚痴や悪口を言っているかを立ち止まって考えるとき、その人に対する理解が進む気がするのだ。
(他の母親の記事「口を開けば愚痴ばかりの人」、「小言や文句の多い母親のかわし方」、「自分の考えは絶対正しいと思い込んでいる完璧主義の母との確執」、「母の中のインナーチャイルド」)