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クライアントと対立してしまうカウンセラーの問題

クライアントと対立してしまうカウンセラーの問題

<2018.5.13>

しばらく前、スピリチュアル系のカウンセリングを時折受けていたのだが、今は止めてしまっている。

そこのグループカウンセリングで知り合った友人から電話が来た。
「なんで来なくなったの?」彼女が私に訊ねる。「うんちょっと…」私は言葉を濁した。なぜなら、彼女がそのカウンセラーの先生をすごく信頼していたのを知っていたからだ。

「先生と何かあったのかと思った」
図星だったので、私は少し慌てる。彼女の見立ての通りで、そこのカウンセラーの先生に思うところがあって行くのを止めたのだ。

聞けば彼女はその先生と相当やりあって揉めて、行くのをやめたのだという。
あんなに信頼していたのにと思いながら、どこかで「やっぱり」と思う自分がいた。

心理学の用語で、「転移」「逆転移」という言葉がある。
クライアントからカウンセラーに対して特別な感情を抱くことを「転移」、逆にカウンセラーからクライアントに特別な感情を抱くことを「逆転移」という。

クライアントにとって、カウンセラーは、自分の内面をさらけ出して自己開示していく人で、更に、クライアントがカウンセリング行くときは悩みや何かしらの問題を抱えているので、気持ちも入りやすい。そういったことからも、クライアントがカウンセラーに対して、特別な感情を抱くことは、ある意味当然のことだと思う。

私たちの先生は女性だったが、これが異性の場合は、恋愛感情に発展したりもする。
クライアントがカウンセラーに対して恋心を抱くというような話はよく聞く話だ。

このような尊敬や信頼や好意のようなポジティブな感情を抱くことを「陽性転移」、カウンセラーに抑圧した感情を投影して、怒りや憤り、敵意、恨み等、ネガティブな感情を抱くことを「陰性転移」というらしい。

「陽性転移」「陰性転移」は、カウンセラー側にもある。

先生は、明るく人あたりもよく優秀で、能力的には申し分のない人だった。けれど長くカウンセリングに通っていると、それだけじゃない面も見えて来る。

あるとき、グループカウンセリングで先生が参加者の一人との感情的な衝突を起こしたことがあった。その人物が勝手にふるまっているように見えるので、その対立はカウンセリングの一環のように見えないこともない。だけど、よく考えるとおかしいことに気づく。

グループカウンセリングで特定の誰かと対立すれば、他のメンバーは、先生の視点に立つ人が殆どだろうから、対立した人物の立場はなくなる。悪者めいて見えてしまう。

だけど、なぜ対立してしまうのかを考えれば、それはカウンセリングが進んで、対立した人物が「陰性転移」を起こしたということだろう。抑圧から開放された感情を向けていたのではないか。

カウンセラーも人間だから、心を扱うカウンセリングという場において、感情が出るのは当たり前だと思う。
だけどそれをストレートに相手にぶつけてしまうのは、先生の「逆転移」ではなかったのか。先生に「転移」という認識があれば、そこに過剰に反応せずに、受け止めることができるのではないだろうか。非難をしてしまうのは、先生の問題が未消化、つまり、先生自身が自分の反応に振り回されているように見えた。

以前は「逆転移」は有害なものと見なされていたようだが、今では「逆転移」をうまく使えば、よりカンセリングが展開するというようなことも言われている。

だが、前提として、カウンセラーが自分の心の問題や考え方の癖を自覚することが必要なはずだ。
その前提があって、カウンセラーがある程度自己開示していけば、より実りあるセラピーが実現したのだと思う。

もちろん、いつもそういう対立があったわけではない。
ただ、個人情報の取り扱いの緩さ、守秘義務の認識の甘さ、カウンセラーとしての資質に疑問を感じて、そのカウンセリングルームに通うのをやめたのだ。

教えられることが多い場所だったので残念だったが、最終的に私には合わないと思った。

私が行っていた先生は、スピリチュアル系のカウンセラーだったが、誰かを助ける援助職はカウンセラー、セラピスト、心理士、ソーシャルワーカー、コーチ、ヒーラー等、多岐にわたる。

心理カウンセラーの領域も、数多くの任意資格がある。色んな協会や任意団体が独自の基準で、資格を設けている。明確な基準がないから、カウンセラーの力量や資質をはかるのは難しい。

必ずしも有資格者がいいとも限らないが、心を扱う領域であればこそ、一定の基準のようなものは必要なのではないだろうか。
そして、クライアント自身も、カウンセラーを見極める目を持つことも必要なのではないかと思う。

特に、あまり自分を出せないとか、人に合わせがちな方は、そのカウンセラーのやり方に疑問を持ちながらも、受け入れてしまうような現実があるような気がする。助ける助けられるという関係は、カウンセラーが上でクライアントが下といった認識にも結びつきやすい。ただでさえ悩んでいるところに、更なる悩みを重ねない為にも、自衛は必要だと思う。

先生との関係が壊れて、余計傷ついているであろう友人と話しながら、そんなことが頭に浮かんだ。





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