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他人のニーズに応えようと自分を犠牲にして擦り切れてしまっている人へ

自分が他者より劣っていることに、アイデンティティーを持ってしまう人

<2018.2.7>

全てを背負い込んで、他人のニーズに応えようと自分を犠牲にして、擦り切れてボロボロになっている人に、一つだけ言えることがあるとすれば、自分を犠牲にして、人に奉仕するだけの人生を送らなくてもいいということです。

人の為に何かできることは素晴らしいこと。ただ、そこにある動機は、何でしょうか?

本当に人の役に立ちたいのでしょうか。
それとも、怖れがあって、人に好かれなければいけない、人から評価されなければ自分は生きる価値がないと思いこんではいないでしょうか。

人の為になることが喜びだとしたら、多分そこまで擦り切れることはなくて、人に尽くしてボロボロになってしまう人は、周囲のニーズに応えなければ見捨てられるような、そんな不安を抱えているように思います。

私もそんな人の一人でした。

多分、生きてきた過程のどこかで、人の役に立つ自分でなければ生きている価値がないと思わせる誰かの存在や出来事があったのかもしれません。そう思わせられてしまうことは、本当に辛いことだと思います。
それによって、自分を犠牲にして生きるという苦しい道が開かれてしまったから。

けれど、他人のニーズに過度に応えたり、誰かにとって価値ある存在にならなくてはいけないというのは、一つの価値観にすぎません。

自分が望まなければ、その選択肢を選ぶ必要はありません。
人の為に尽くさなくても、誰かの欲求に応えなくても、人は生きていていいのです。
ただ自分の為に、生きていいのです。

自分のエネルギーがない状態で、自己犠牲ばかりしていたら、エネルギー切れを起こして、自分が生きていくだけのエネルギーも枯渇してしまいます。

そうでなくとも、他人のニーズは様々で、全ての欲求に応えることなど不可能です。
その絶対的に不可能なことを永遠にやり続けようとしているのですから、疲れきるのは当然です。

そして、自分を殺して人に合わせてばかりいると、自分の本当の気持ちを見失います。楽しいことが何だったのかもわからなくなります。

苦しいだけの人生にしない為にも、自分の為に生きることを、自分に許してあげてほしいと思います。
それが、自分の軸で生きるということです。

何か違う自分にならなくても、人は誰でも、もう既に十分価値ある存在です。
ただ、それを信じられるかどうか。

ずっと他人の為に生きてきた人にとって、自分の為に生きることは、初めはひどく難しく感じられると思います。自分の居場所がなくなるように感じられるかもしれません。

でも実際やってみると、案外周囲はすんなり受け入れてくれたりするものです。
そういう自分でなければ価値がないと思い込んでいたのは自分だけ、ということも結構あります。
自分軸で生きている人を嫌う人もいるかもしれませんが、自分を犠牲にして他人に尽くしても、やはり嫌われることもあって、そこに絶対的な答えはありません。だったら、自分を尊重して生きてもいいように思えます。

では具体的にどうすれば、自分は既に価値ある、掛け替えのない人間だと信じることができるでしょうか。

おすすめの方法としては、自分をほめるというのがあります。
何かできたらほめてあげる、小さなことをほめてあげる、何もできなくても今日生きたことをほめてあげる、そういうことを繰り返し、意識的に行ってみる。

何もほめることがないと、最初は思ってしまうかもしれませんが、「今日自分の何がよかっただろう?」という問いを投げかければ、脳は無意識にその答えを探し出そうとします。

ノートに書き留めておくなどして、目に見える形で残しておくのもいいと思います。自分を否定しないで肯定する習慣を少しずつ身に着けていきましょう。しばらくは目に見える効果はないかもしれませんが、根気よく続けていると、変化が出てきます。

そんなことをしても無駄と切り捨てる前に、まずは試してみてほしいと思います。

それともう一つは、自分の好きなことをする時間を自分に許すというものです。
一日の中で、自分が楽しいと思える時間を少しでもいいので、持ってみてください。

コーヒーが好きなら、カフェでゆっくりコーヒーを飲むとか、好きな音楽を聴く、好きな小説家の新刊を読んでみる、動物が好きな人なら可愛い動物の動画を視る、自分のために可愛い生花買って部屋に飾る…など、小さいことで構いません。

好きなことに集中し、その中に埋没しているとき、人は自分を責めていません。
人の為に尽くすだけの人生から離れて、少しでも楽しいと思える時間や空間を作っていくのです。

メンタルコンディションが落ちているときは、自分が何好きだったかもわからない状態かもしれませんが、昔好きだったことや少しでも興味のあることを実際に行ってみてください。逃避としての快楽を求めるのではなく、気持ちがほっとするようなことを、自分に許してあげてください。

それは、苦しい、辛いという思考のループから、自分を引き離す何かを持つということでもあります。
自分を責めない時間が少しずつ増えたとき、周囲に対する捉え方も変化していきます。

多分そこまで来ると、周囲が自分にそこまで過度な要求をしていないことに気が付けるかもしれません。
そこに気づくことができると、生きるのが前より楽になっていると思います。

もう苦しくてこれ以上耐え慣れないと思うとき、それは本当につらいことですが、その苦しい生き方をやめるチャンスでもあります。
自分を責めるだけの苦しい道から離れて、自分が幸せになれる別の道を選んでみてほしいと思います。





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人と関わることががうまくできません。メンタルが弱くて、打たれ弱くてすぐにへこんだり、体力がなくて人と同じようにできなかったり、他の人が楽しいと感じることが苦痛だったり…生きづらさを抱えながら毎日を過ごしています。普通の人と同じようには生きられないけれど、それでもどうにか、生きています。そんな日常を綴っていきます。


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