苦手な人、嫌いな人、許せないと思う人は、あなたの中のシャドウ(影)かもしれない
<2018.4.28>
あなたにとって、苦手な人、嫌いな人、許せないと思う人はどんな人だろうか。
心理学者のユングが提唱した「シャドウ(影)」という概念がある。
私たちは成長する過程で、自分にとって好ましくないとか、不必要だと思ったネガティブな性質や感情を、無意識に切り離してしまうことがある。この抑圧された性質や感情が「シャドウ」だ。
自分ではないことにしているが抑圧しているだけで、実際にはなくなったわけではない。
そして、それを私たちは自分の外に見る。他者の中に、自分の中の抑圧しているものや禁止しているものを見て、怒りを覚えたり嫌ったりするのだ。
これが「投影」のしくみで、自分の中の認めたくない要素を他者に投影して、嫌な気持ちになる。
私のことを言えば、私が苦手だと感じる人、つい反応してしまう人は、「自分の正しさを振りかざす」人だ。
自分のいう事が絶対だと信じて、そのマイルール、ローカルルールを人に強いる人。単に正しさにこだわるだけではなくて、自分のやり方を押し付けずにはいられない人、そんな人。
これが誰かと言うと、私の母なのだ。
自分が正しいと思う事を遂行しようとするあまり、相手がどう考えるか感じるかには無頓着な母。私の気持ちより、自分のルールを優先する母。
それが嫌だった。自分の気持ちを汲んでもらえない気がして。
だから、無意識のうちに切り離した。
「私は自分の正しさを振りかざして、それを人に押し付けたりはしない」と。
自分にそういう要素はないと思ってきた。だけど、それは抑圧していただけで、私の中には歴然とあって。
投影のしくみを知ったとき、ないと思っていた感情が私の中にあることを知ったとき、正直ぞっとした。抵抗感もあった。でも、そもそも自分の中にその要素がなければ、気づくこともない。
これが私のシャドウだ。
それで、母のような人を見るたび、嫌な気分になっていた。
自分が人にしないように禁止していることを、何のためらいもなくやすやすと行ってしまう人を見ては、許せないと憤っていたのだ。
押さえつけている影を、その人が見せてくれるから。
そして、それは、人間関係を損なってきたと思う。嫌いな人のことはよく目に付いて、私を悩ませた。
でも、今はそれが私のシャドウだとわかる。
抑圧してきた感情に気づき、それを自分のものとして認めていくことを、「シャドウの統合」と言うそうだ。
シャドウを統合すれば、解放され、深い癒しが起きるのだそうだ。それは、自分が影の要素を持っていると開き直って、外に向けて行うことではない。ただ、自分の中にあると認めること。
統合というものがどういう状態を指すのか、はっきりわかったわけではない。
けれど、ホラー映画で正体を現したモンスターがそう怖くはないように、正体を現した影は、その力を弱めるのではないか。
シャドウの存在を知った今、シャドウに振り回されて、人間関係を損ねることも少なくなった気がしている。
現に母的な人物に怒りを覚えることが少なくなって、大分私は楽になれた。
それは、厳密にいえば統合とは言わないのかもしれない。でも、影の要素がもともと私の一部だったと気づいただけで、今は十分だ。
だからといって、物理的な影から私たちが離れることができないように、心の中のシャドウも決してなくなりはしないだろう。
だから、その存在を感じていようと思う。
あなたにとって、苦手な人、嫌いな人、許せないと思う人はどんな人だろうか。
それは、あなたの一部、シャドウではないだろうか。