透視リーディングを受けたときのメモ書きが出てきた
<2018.6.2>
本棚を整理していたら、2年ほど前に透視リーディングを受けたときのメモ書きが出てきた。
年度の初めから翌年のまでの一年間に何が起こるのかを、月毎にカードリーディングで占ってもらい、それを書き留めておいたものだ。
サイキックの人が占ってくれた月毎のメッセージはごく短く抽象的なので、当たっていると思えば当たっているような気がするし、外れていると思えば外れているような感じだ。
ただ、年間を通してのメッセージは、変革の年で、新しい扉を「信頼と勇気」で開くといったもの。物事を見る視点の変化、こだわりがなくなっていくだろう、とも言われたのだが、それはおおむね合っていた。本質的なことは変わっていないけれど、物事を見る視点には、大分変化があった。
月毎のメッセージと一緒に、透視リーディングの最中にサイキックの人が見た、私の過去世も書き留められていた。
その過去世とはこんな感じだ。
私は、アフリカの今はもう失われた部族の青年だった。まだ槍を使っていた頃の古い時代。
背が高く、青年団の団長のような役割を担っている。狩りがうまく、仲間を大事にする気持ちが強い。土地は、豊かで平和だった。
けれど、ある日、それを脅かす勢力が現れる。その勢力は、私たちの部族よりもう少し文明が進んでいて、武器や馬を手に、家々を焼き払い、豊穣な土地を奪おうとする。
その部族の掟として、槍は神聖なもので、必要な分の獲物を取るだけのものだった。決して人の命を奪ってはいけないものであったが、私は掟を破り、神聖な槍を使って、敵対する人間の命を奪ってしまう。
そうまでしても敵には敵わず、結局私は殺され、部族も滅んでしまった。
この過去世で私が学んだことは、「自分の力をどんな状況においても使ってはいけない」ということだ。
神聖なもので誰かを傷つけてしまうことの悲しみ、苦しみ。そして、力を使ってしまうことによって、自分の信仰や仲間、全てを滅ぼしてしまう惧れ。
この過去世が影響して、人が大勢いるところで圧迫感を感じてしまうことを、サイキックの人に告げられた。人々の持つエネルギーに圧倒される。だからこそ自分を出すことができない。自分の力を行使することは、大事にしているものを壊してしまうことだから。
これを聞いたとき、何かが腑に落ちた気がした。人に対して積極的になれなかったり、いつも引いてしまう癖は、この過去世に原因があったのかもしれないと思った。
生きにくいのは、前世が影響していると考えたわけだ。
ただ、今、前世や過去世を信じているかというと、全く信じないわけでもないが、実は信じない気持ちの方が強い。二年前はもう少し信じる比率が、高かった気がする。
多分、その頃「生きづらい」ことに対する物語を求めていて、サイキックの人は、私が欲していた物語を読んだのではないだろうか。あのとき私にとって必要なメッセージが出ていた。
今、生まれ変わりについては、過去に生きた誰かのエッセンスや、一部の情報を持って生まれてくることはあっても、それが一般に言われる、「魂の生まれ変わり」ということではないのではないかと考えている。
前世があるかどうかは検証可能なことではないし、信じるか信じないかの問題だから、…今はそんな風に思っている。今後また変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
前世があるかどうかはわからないが、辛い現実の原因を前世に求めすぎてしまうこと、過度にスピリチュアルの世界に傾倒することは、下手をすると、自分を狭い世界の物語に限定してしまうことにも繋がる。それが救いという薬にもなるし、現実逃避という毒にもなるのだ。
そんな風に、物事を見る視点には大分変化があって、ああ、サイキックの人が占ってくれた年間のメッセージは、逆説的だけど、かなり当たっていたと思う。
こだわりが大分薄くなっていて、新たな視点が出ている。
ただ、アフリカの部族の物語は、当時の私を慰めてくれたのもまた事実で、この青年のことを思うとき、今でも私の気持ちは動く。