内向型な人は軽く扱われて損?あるショップを利用して思ったこと
<2018.7.21>
あるショップを利用していて、ちょっとモヤモヤすることがあった。
そのショップのサービスが気に入って、友人にそのショップを紹介したことがあった。
二人でショップのことを話していたとき、ある割引が存在することを友人は教えてもらえていたのに、私は教えてもらってなかったことがわかった。
詳細は省くけれど、結果的に、私の方が同じサービスに対して、高い金額を支払っていたことになる。友人と話して、私がはっきり言わなかったからじゃないかという結論に達した。
友人は言いたいことをはっきり言える外向型、私は、どちらかというと内向型で、自己主張するのが苦手だ。
もちろん外向型・内向型の違いだけで差をつけられたかどうかはわからないし、タイミングやその他の理由もあったのかもしれない。でも、料金が人によって違うというのは、すっきりしない。モヤモヤする。
内向型の人、大人しい人は、こんな風に軽く扱われることが多い。軽く扱われるだけならまだましで、もっと差別的な対応をされることもままある。いじめのターゲットも、外向型の人よりは大人しい内向的な人の方がなりやすい。
内向型は損をしているんじゃないか、外向型にならなくてはいけないのではないかという気持ちが湧き上がりそうになる。
これは以前にも考えたことで、そのときは、でもやっぱり自分を180度変えることはできないという答えを一つ出したのだ。
外向型、内向型という概念は、心理学者のカール・ユングによって提唱された。ユングは、心のエネルギーが外部に向かう人を外向型、内部に向かう人を内向型と呼び、外向型が、社交的で決断力や行動力に富むのに対し、内向型は、控えめで粘り強く、空想にふける傾向があると考えた。
自分の内向的で他者に働きかけるのが苦手なところを以前は嫌っていたのだが、あるとき、そう思うのをやめた。それって性格の違いでしかないと思うようになったからだ。
人に会うことでエネルギーを得るか、一人のときにエネルギーを得るかの違い。
社会的には、内向的な性格は劣ったもの、治すべきものと考える風潮があるけれど、その視点に立つとき、人が持つ本質については無視されている。
内向型な人間が自分の性格を嫌悪して、無理に外向的にふるまうとき、神経症などの精神疾患を発症するとも言われている。
そのままの自分を否定するのだから、苦しいのも当然だ。
最低限に自己主張できることは自分を守るために必要なことだと思うけれど、内向的と外向型、どちらが優れているとか劣っているわけではない。
ここまで考えて、やっぱり無理に外交的にふるまうのはやめようともう一度思う。
そして、意地の悪い見方をすれば、内向的であることは、ときに人を見る試金石になる。
内向的で大人しい人だとジャッジして態度を変えてくる人がいれば、つまりその人はそういう人だということ。本当に人間的に優れた人は、そういうところで人を差別はしない。その人の本質が出るところだろ思う。人によって態度を変える人とは、一定の距離を置きたい。
内向的を損と捉えると辛いけど、試金石と考えると自分を守るものになる。
そんなわけで、冒頭のショップ、思い込みもあるかもしれないけれど、もうあんまり行きたくはないなぁ。