どうしても行きたくない気持ちになった
<2019.2.3>
ここ数年で付き合っている人たちの顔ぶれがガラッと変わった。
ちょっとしたアート作品を趣味で長く作っていたのだけど、自分の才能のなさに気づき、更にその仲間内の一人とぶつかったことがダメ押しになって、その趣味をやめた。(「趣味のやめどきは、その趣味を楽しめなくなったとき」)
諍いがあったことを知らない別の仲間から、ときどき展示会のお知らせが届く。
数日前にも、展示会を知らせる案内ハガキが郵便受に入っていた。
ハガキをくれたその人には、趣味を続けていた頃、とてもお世話になった。色々気にかけてもらったし、その人が作る作品も、大好きだった。
ハガキには丁寧なコメントが添えられていて、行こうかどうしようか気持ちがぐらつく。
行くべきという思いと、行きたくない気持ちが同時に湧き上がってきた。
ハガキをくれた人の個人展だったら、躊躇なく行けただろうけれど、仲間内何人かで行うグループ展の案内だった。
仲違いした友人の名前も記載されていた。やめないで、制作を続けているんだなぁと思う。
「ハガキをくれたあの人にはお世話になったのだから、不義理をしないで行きなさい」ともう一人の私が言う。
行かなくてはと思うが、気持ちは行きたくない方に傾いている。
皆はずっと黙々と作品を作り続けていて、私はそこからもう下りた人間だ。
もうそこは私の居場所じゃないし、続けられなかった負い目もある。仲違いをした友人や、皆の作品を見るのが苦しい。
純粋に作品を楽しめるところまでは、自分の気持ちは消化されていない。
展示会場のそばまで行ったが、結局立ち寄らずに帰ってきた。
昔の自分なら、多分無理をしても行っていた。
人からいい人間と思われたくて、自分の気持ちに沿わなくても、悪い人間になりたくなくて、自分の気持ちには嘘をついて行動していたから。
ハガキを下さった方には申し訳ないけど、行きたくない自分の気持ちに正直になることにした。 人を優先して、自分に嘘ついて、やりたくないことをしなくてもいい。人に嫌われるかもしれないという結果を受け入れられるなら。
その趣味をやめて、そこでの人間関係は、ほぼなくなった。今そばにいるのは、殆どがその趣味をやめて知り合った人たちだ。
人間関係の潮目が変わったのだと思う。
何かの拍子に、道が分かれてしまうことがある。自分の意図しないところで、何かが起こる。
自分が至らないのも理由の一つかもしれないけれど、多分それだけではない。
生きていれば変わらないものなんてないから、仕方ないことだと思う。ステージかエネルギーか、そういうものが変わってしまった。
行きたくない小さな自分を、ただ正当化しているいいわけかもしれない。
でも、そういう小さな自分を受け入れてもいいような気がしている。
世間でいう「正しい」ことをしない、できない、ちっぽけな自分を認めて生きていく。
でも多分そんな大げさなことではなくて、行っても行かなくても、すぐに過去になってしまうようなささいなことだと思う。
こだわっているのは、多分私だけなのだ。