非二元。「私」という夢から覚めて、わたしを生きる
<2018.10.28>
今は大分緩んでいるが、「成長しなければいけない」という考えに振り回されていた時期があった。
「成長しなければいけない」と思えば思う程、成長しない自分が許せなくて、自分を否定した。自己成長は素晴らしいことでもあるが、ときに人を追いつめるものだと思う。
そこから抜け出すきっかけにもなったものに、『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる―非二元・悟りと癒やしをめぐるストーリー』という本がある。
作者は、中野 真作さん。スピリチュアルセラピスト。ヒーリング&カウンセリングルーム「スペースまほろば」主宰。
この本を読んで初めて「非二元」という言葉を知った。
「非二元」とは、ふたつではない、つまり全ては一つに繋がっていることを意味している。ノンデュアリティとも表現されるし、ワンネスということでもある。
世界には個々に分離した無数の存在がいて、この私もその分離した一つの存在として生きていると信じているが、私と世界は一つの同じもの、世界は分離していないという考え方だ。
この分離していないただひとつのものが、宇宙、意識、気づき、神、愛、光などと呼ばれ、この全体性を思い出すことが「悟り」や「目覚める」ことなのだと中野さんは言う。
もともと私とは、世界全体のことだから、すべてが私とも言えるし、私はいないとも言い換えられる。
私が世界で、全てが一つなのだとしたら、自分を苦しめている問題も「他と分離している自分」がいると信じているからこそ起こる、ただの夢にすぎない。
これが、タイトルの「「私」という夢から覚める」という言葉に繋がっている。
この「非二元」ということを知って、よいとか悪いとか、正しい正しくない、効率非効率、そんな風に世界を二元性で捉えていることに気づいた。
人生とは、一度分離の苦しみを体験し、そこから全体性へと戻ってくるプロセスそのもののことなのだそうだ。
人生の前半には、自我(小さな自分・エゴ)を確立させ、その後に、自我を越えた大きな自分と繋がっていく必要がある。
そのことに気づかずに、自我としての私が人間の成長の最終段階だと勘違いしていると、様々な苦しみが現れる。
成長しなければいけないと考える、私ではないものになろうとする、欠落しているものを埋めて何かに秀で、他者に比べて優れた自分になろうとする、それもまた小さな自分だったと思う。
社会的な価値観は人生の前半の目的に向きがちで、その価値観だけに囚われてしまうと、そこからはみ出す自分を許せなくなる。
二元性で世界を捉えることは、苦しみを私にもたらした。けれど、苦しみは、それを気づかせてくれる導きにもなった。
苦しいからこそ、そこから抜け出るプロセスを探したのだ。
もちろん、私は何も悟ってはいないし、人間関係の中の些細なことに動揺して、相変わらず小さい自分を生きている。
多分それは一生変わることがない。それでも、世界と私は分離していないという考えは、自分を被害者という立ち位置から救ってくれた。
「成長しなければ」と思うこともあるが、自分を追いつめるような深刻さを持たない。
それがただの夢、一つのストーリーにすぎないことを知ってしまっているから。
自分以外の誰かになろうとするのをやめて、この瞬間を、ありのままの自分をただ判断せずに認める。
そして、寂しさや虚しさが浮かんできても、それらをただ味わって手放していく…そういうことが少しだけ、できるようになった気がしている。
最後に『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる―非二元・悟りと癒やしをめぐるストーリー』の中から引用して、終わりにしたい。
「私はいない」が実感として理解された後も、人間としての生はまだまだ続きます。
(中略)
そして、その理解の進化(深化)のプロセスは終わりなく続きます。今自分がいる場所で、空(くう)を色(しき)の世界に表現するという修行が続くのです。
すべては空だとわかりながら、その空の現れとしての人生を生きていく。空を体感して色の世界に戻ってくる。
色即是空 空即是色。
ただ、ありのままに。
(中略)
私とは本当はこの身体と心のことではないとわかりながら(色即是空)、この限りある命を大切に生きているという感覚(空即是色)。
目覚めた人生とはそんな感覚なのかもしれません。『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる―非二元・悟りと癒やしをめぐるストーリー』(中野 真作著)より
※「色」とは、宇宙のすべての形ある物質のこと。「空」とは、実体がなく空虚であるということ。