すべての人にOKの答えなんかない
<2020.8.31>
久しぶりの投稿です。
自分の生きづらい悩みを吐き出す場所として、サイトを開設しました。今は更新頻度が減りましたが、日常的な辛さや苦しみを軽減したくて学んだスピリチュアルや心理学的なこと、試した方法などを書いています。
同時に、皆さんが感じている「生きづらさ」についても募集しています。「生きづらさ」の投稿とは別に、サイトへのご意見をいただくこともあります。
その中で印象に残っているご意見は、みなさんが投稿下さった「生きづらさ」について、どうすればよいかアドバイスをしていないというお叱りでした。
「みんなの生きづらさ」をサイトに掲載していますが、それに対して、コメントやこうした方がいいといったことは書いていません。それが、なんだか投げっぱなしのように、ご意見を下さった方は感じたのではないでしょうか。
サイトを始めたばかりの頃、一言くらいコメントをつけようか、迷ったのですが、みなさんの辛い気持ちに対してサイト管理者として安易なコメントをつけることに疑問を感じ、やめたのを覚えています。
心理学やスピリチュアルについて学んではいますが、私が言う立場にあるのかなというのがアドバイスをつけない理由の一つでもありました。
誰かが誰かにアドバイスするというのは、ややもするとそこに上下関係が発生する危険をはらんでいる気がします。
世の中を見ると、アドバイス好きな人は結構な頻度でいて、そこには助けたいという気持ちと一緒に、アドバイスをすることで何か自分が偉くなったような錯覚を得られることもあるんじゃないかと、ちょっと意地の悪い見方をしてしまうのです。
「じゃおまえが今、書いてるこの記事はなんなの?」と問われれば、私にも認めたくないけど、そういう部分があるのだろうと思います。
ブログに綴る文章ではなくて、悩んでいる人のそばにいられたら、ただその人の悩みに耳を傾けて、辛さを受け止めてあげるだけでいいのかもしれません。でも、これはブログで、直接皆さんと話ができるわけではないので、不特定多数の方に向けて書くより他ありません。
それがアドバイス的になってしまうこともあるだろうとは思います。ただ生きづらさに悩んでいるのは、読んで下さる方や投稿下さる方と私は同じなので、そこは上から目線になったりせずに、対等でいたいと思っています。
「生きづらさ」に投稿下さった方には、個人的な返信として、短くても何かしら思うところをメールで返しています。あくまで個人的に。
それともう一つ、こうした方がいいと助言するとき、そこに正解があるように思われてしまうことを怖れています。
学校では、問いには正しい答えがあって、それが当たっていれば、よい点を取ることができます。だから私たちは、どこかに正解があるはずと無意識に思い込んでいるところがあります。
でも、世の中には一つの正しい答えがあることの方が稀だし、生き方に正解なんかありません。グレーな世界の中、一人一人が自分なりの答えを見つけていくものだと思うのです。人生に意味づけを与えられるのは、その人でしかありません。
自分が思うように生きてもよいのだということを教えてくれる人は、わりに少ないように思うのです。こうしてはいけない、ああしてはいけないという禁忌ばかりを押し付けられるとき、人は伸びやかに生きられなくなる、不自由になっていくのではないでしょうか。もちろんそこには、法を犯さない、人を傷つけないといった制限はつきます。
制限はつくけれど、自由に、そのときどきで価値観や信念を取捨選択して生きるとき、それがその人らしく生きるということではないでしょうか。
このブログで書いていることも、私が知りえた有効だと思われる一つの方法にすぎなくて、すべての人に当てはまる方法ではないと思います。
直接会って話をしているわけではないから、読んでくださっている方がどう感じているかもわかりません。
そういう意味では限界性も感じますが、それでも何かを伝えられないかと切実に思うのです。苦しんでいた頃、今までとは別の考え方があることを、私自身が誰かに教えてほしかったから。
でも、上から目線のアドバイスにならないように書くのは、結構難しいものです。
だから、ここで書いていることは、絶対的な真理なんかじゃないのです。性格や心の状態、体調などを考慮して、実行可能なところを試してほしい、そういうスタンスです。
「使えそうだったら使ってみてね」なのです。
すべての人にOKの答えなんかないし、全ての人に当てはまる答えがあると考えることは、怖いことなんじゃないかと思うのです。それは多様性の対極にある考え方です。だから、これからも「みんなの生きづらさ」の投稿へのコメントは、サイトではつけないつもりです。
本当の意味での多様性が、もう少し社会に受け入れられたなら、私たちが抱える「生きづらさ」は、少しは楽になるのではないでしょうか。