深い息は心と身体の状態を表す、一つの指標
<2019.3.10>
久しぶりに整体に行った。ボキボキしないこの整体に月一ぐらいで行くようになって、一年ほどが経つ。
初めは友人に誘われたのがきっかけで、それほど気乗りしないで始めたのだけど、なんだかんだで続いている。
整体だけじゃなく身体についても色々教えてもらえるので、セルフメンテナンスができるようになればいいなと思い、通っている。
思考に偏りがちな人間なので、今まで身体のことをないがしろにしてきたのだけど、身体に触れてもらうと、身体が気持ちに与える影響の大きさに驚かされる。
心と身体の両方のバランスがとれると、体調が整うことに気づいた。
その先生が繰り返し伝えてくれることに、「息」をすることの大切さがある。
息をする、あまりにも当たり前すぎて、私たちはほとんど意識することができない。
両方の奥歯を軽く噛んで、鼻から大きく息を吸ってみる。息は身体のどこまで入っていくだろうか。喉まで? 胸まで? お腹の辺りまで? それとももっと下までだろうか?
始めは自分の息がどこまで吸えているか、それにすら気づけないかもしれない。
深呼吸をすることで副交感神経活動が優位になり、リラックスできる。そういう知識はあったけれど、息が身体のどこまで入るか、そんなことを意識したことは一度もなかった。先生に言われて、鼻から吸い込んだ息を感じてみると、喉の辺りでとどまっていて、深い息が吸えていないことに気づく。
息が深く入っていかないのは、みぞおちの辺りが硬くなっているからなのだそうだ。うつ病の人は、みぞおちが石のように硬くなっているのだと言う。
私は常日頃姿勢が悪いのだけど、姿勢が悪いというのは、みぞおちが潰れて息が入らないから身体が前かがみになっている状態。心の在り方が身体に現われて、身体を悪くしてしまっている。だから、みぞおちを緩めるような身体の使い方を覚えていけば、無理に姿勢を正そうとしなくても自然に姿勢が良くなったりするらしい。
それと、「受け入れる」ことの本当の意味についても教えてもらった。
「受け入れる」ことの重要性については、このブログでも度々書いている。ダメな自分をありのまま受け入れて、本当の自分を取り戻す。自分のことを受け入れられるから、他者のことも受け入れられるようになる、というようなことを。
ただ、頭の理解だけで「受け入れる」といっても、深い息が吸えていないのであれば、それは本当の意味で受け入れてはいないのだそうだ。
そういえば、人と接するとき、私は身体を硬くしていることが多い。緊張から肩は上がり、息を詰めている。そう、呼吸が止まっているのだ。
それはやはり、相手も自分も受け入れていないのだと思う。
もちろん、色んな人がいるので、全ての人に対して開かれた自分でいたり、受け入れる必要はない。攻撃的な人に対して自分をさらけ出せば、傷つくことも多いから。
けれど、自分が好きな人に対してもどこか防衛的に身を縮めてしまっている自分がいる。リラックスできない。
それを最近少し寂しいと思うようになった。もう少し開かれた自分でいたいと思う。
だから、深い息になっているかどうかに意識を向けるようになった。
深い息になっていれば、心も身体もリラックスしていることがわかるし、浅い息になっているときは、楽に息ができる考え方や身体の使い方はないか探るようになった。
深い息が、心と身体の状態を表す、一つの指標になっている。