会話の沈黙が怖い。会話が苦手な人が陥りがちな罠
<2017.10.12>
以前より大分ましになったが、人とのコミュニケーションに自信がない。
楽しく話をしたいのに、会話が弾まないし、続かない。特に難しく感じるのが、日常会話だ。何かについて話すのなら、まだ話せる。だけど、着地点のない日常会話は、そもそも何を話題に選んだらいいのかということがわからない。
こんな話をしても大丈夫なのか、そういうことを考えて会話に集中できない。
そして、沈黙が怖い。押し黙ることもあるが、沈黙を回避する為にどうでもいいことを話して、失言してしまうことも多い。あまり親しくないとき、この傾向が出がちだ。
話下手な人の対策としてよく言われるのが、「聞き上手」になろうというものだ。
人には話を聞いてもらいたいという基本的な欲求があるので、相手が気持ちよく話ができるよう、配慮しよう。その為には、質問と相づちを上手に使えるように…そんな風に言われることが多い。
実際、その通りなのだと思う。だけど、そこにはには、会話が苦手な人が陥りがちな罠が潜んでいる。
質問する内容ことを考えるあまりに、肝心の「聞くこと」がおろそかになるのだ。
話が弾ませて、目の前の人と親しく打ち解けたいと考える。でもそこをよく考えると、相手や相手が話している事柄に興味も持つというより、早く打ち解けて攻撃されないようにしたいだけなのだ。
だから、相手への興味がないままに、場を取り繕うとして、タイミングを考えずにやみくもに質問をしたりして、余計打ち解けない感じになる。変わり者だと見られたくないという意識が強すぎて、相手の話が上の空になるのだ。
本当に私は、対人関係において、色んなことを恐れている。
コミュニケーションが下手というより、この恐れが人間関係を難しくしていると思う。
でも、本当に必要なのは、質問することではなくて、相手に対する興味だろう。
興味があれば、自然に聞きたいことが出てくるはずだ。
私に向けた言葉ではなかったが、ある人が言っていた言葉を思い出す。
「会話を繋げるだけの質問は、不快」
会話を繋げるだけに質問する人がいて、それは場を調和させる為の配慮かもしれないが、単に会話を繋げるだけの質問だから、何度も同じことを聞いてくる、というものだった。
本当に興味があって聞くことなら、その質問した内容を忘れ、何度も同じようなことを聞くことはしないというのだ。
私のことを見透かされているように思えた。関心の低さは、多分見る人がみれば、伝わっている。この人が言っていることは、もっともだ。
コミュニケーションの低さを、テクニックでごまかそうとしている自分がいる。必要以上に、場を和ませなくてはいけないと思い込んでいることが原因だと思う。
でも、相手が不快にならないよう配慮するのは大切だけど、過剰に「聞き上手」になろうしなくてもいいんじゃないか。
コミュニケーション能力が高くなければ、人と関わってはいけないと思うのは、多分ただの思い込みだ。
不器用でも気負わず関わって、相手の話す世界を大事に思えばいいだけの気がする。そして、会話を繋げるだけの質問ではなく、本当に聞きたいことを聞けばいい。怖がらずに、素直に。