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スマナサーラ長老としりあがり寿氏の対話本『怒らないで生きるには』

スマナサーラ長老としりあがり寿氏の対話本『怒らないで生きるには』

<2017.8.6>

イライラしてたまらなかった頃買った本の中に、『怒らないで生きるには』という本がある。
スリランカ上座仏教長老のアルボムッレ・スマナサーラと漫画家しりあがり寿氏の対話本だ。

この本について、ブログに書こう書こうと思いながら、なかなか書けずにいた。
理由は、すごく賛同できるところとそうでないところが混在していて、自分の中で消化不良だったからだ。

消化不良だし、ずいぶん前に読んだ本なので忘れているところもあるが、思うところを書いてみる。

二部構成になっていて、前半はにしりあがり氏のマンガ『消えたケーキ』、後半は、しりあがり氏から投げかけられる様々な「怒り」に関する問いに、スマナサーラ長老が答える形になっている。

しりあがり氏のマンガ『消えたケーキ』は、秀逸だ。

幼稚園児くらいの女の子が「ケーキほしい」と駄々をこね、母親の手を引いているシーンから始まる。
女の子がほしいのはイチゴのケーキ。母親が「もうすぐごはんだから我慢しなさい」とたしなめても、女の子は聞き分けない。

やっとケーキ屋の前に到着して、イチゴのケーキを買おうとするが、売り切れてしまっている。「ケーキがない」と更に激しく泣きわめく女の子。それを見ていた母親が、娘の怒りが移ったかのように「客がほしいものを出せないってどういうことよ!!」とケーキ屋の店主に対し、激しい怒りをぶつける。
「よろしければ」と、店主が差し出したケーキを母親は手でひねりつぶして去っていく。

そのケーキ屋はカフェも併設していて、ウェイトレスの女性が、一人忙しくお客に対応している。
ウェイトレスの女性が、客の注文を店主に伝えるが、母親の怒りに晒された店主の機嫌は、明らかに悪そう。店主の怒りに委縮したウェイトレスは、転んで商品であるケーキを床に落としてしまう。
「役立たず。おまえのかわりなんかいくらもいるんだぞ。クビにしてやろうか」と怒り狂う店主。

シーンが変って、仕事を終えたウェイトレスは、彼氏の待つ自宅へと帰っていく。
彼氏は無職で家にいる。帰るなり、ウェイトレスはケンカ腰。彼氏が別の女性とやりとりをしているSNSを見つけたウェイトレスは、「私に働かせてあんたは女の子と遊んでいるの? 私が毎日どんなキモチで働いているかわかる? ろくでなし!」と、激しく罵倒する。

今度はその彼氏が、怒りをネットへ書き込むことで、怒りの毒をまき散らしていく。

怒りが次々伝染していく様子が、生々しく描かれる。
怒れる人は、角の生えた鬼として表現され、それまでニコニコしていた人が鬼の怒りに触れると、自らも鬼になっていく様が恐ろしい。

そして人々の怒りは、恐ろしい結末へと向かっていく。

しりあがり氏がいかに才能ある作家かということが、よくわかる漫画だ。

怒りが伝染していく様子は、私たちが日常生活の中でよく経験していることだと思う。
人は、辛いことがあったとき、その苛立ちを他者に対して向けてしまうことがよくある。そして、怒りの矛先は、自分より弱い者や親しい人など、怒りをぶつけても大丈夫と感じる対象に向きやすい。

もちろん怒りをぶつけてきた人に向かう場合もある。けれど、怒りを抑圧しなければならない場合の方が、行き場をなくした怒りは、より増幅する。そして格好の出口が見つかると、勢いよく放たれる。

そして、怒りをぶつけられた人もまた同じように、怒りを誰かに向けて爆発させていくのだ。

多分根底にあるのは、「自分がこんなに辛い思いをしているのだから、他人にぶつけても構わない」という思い。意識的か無意識的かは別にして、怒りを他人にぶつけることを自分に対して許可している状態。

でも、自分が傷ついていれば人を傷つけてもいい、怒りにさらされたから誰かに怒りをぶつけても当然という考え方は、実は合理的ではない。

それを続けていると、人が離れたり、人間関係がうまくいかなくなる。

スマナサーラ長老は言う。
怒りという感情は伝染する。だから私たちは、自分の過ごす環境に注意しなくてはいけない。怒りに満たされた環境にいれば確実に影響を受ける、と。

それはすごく共感できて、事情が許すのであれば、怒りを放射する人からは一刻も早く離れた方がいいと、私も思う。

ただ、スマナサーラ長老は、「怒らないこと」と「怒りを我慢すること」は違うのかという問いに、「わざわざ我慢しなくても、怒ること自体悪いことだから、単に怒らなければいいだけのこと」だと答える。

怒ること自体、恥ずかしいことで、怒る人は情けない人格。そのこと理解できていれば、わざわざ我慢しなくても怒ることはないのだそうだ。

確かに人間ができた人であれば、怒ることは恥ずべきことだから怒るのをやめようということが、できるのかもしれない。けれど、人格的にそこまで到達していない私のような人間には、それは大きなハードルに思える。

道徳観で怒りを封じ込められるのなら、そもそも怒らない。
表面的には、怒りが外に出ていかないように、抑制することは可能かもしれないが、それで怒りがなくなったわけではない。単に抑圧、我慢しただけだ。

抑圧すればするほど、怒りは大きく膨れ上がり、より制御できないものへ変化していく。

この本を読んで感じる違和感の正体は、その辺にある。

他にも怒りのおさめ方について述べられているのだが、タイトルでもある『怒らないで生きるには』の答えとしては、今ひとつのように思えてしまう。

言い換えれば、これは私が、長老の言葉を理解するくらいの人格を備えていないということかもしれない。
でも今の段階では、すっと心に響かない。モヤモヤと消化不良のままなのだ。


怒らないで生きるには
怒らないで生きるには (宝島社新書)




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