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生きづらいのにずっと生きなきゃならないなんて本当に地獄


生きづらいのにずっと生きなきゃならないなんて本当に地獄

「生きづらいけど生きなきゃならないなんてただのかっこつけです」という意見をもらった。
前に書いた自殺のした友人の記事(自殺…自ら死を選んだ人)を見てくれたようだった。

「皆の生きづらさ」への投稿じゃないから詳しい内容は割愛するけれど、「生きづらいのにずっと生きなきゃならないなんて本当に地獄」「自殺は本当に救われる判断」といった、記事に対する批判が綴ってあった。
どんな意見を持つのも自由だけど、自殺を肯定せずにはいられないような状況に置かれているのかなと、ふと思う。全く的外れかもしれないが、死を美化しているところが少し気になった。

返事を書いたがエラーで戻ってきたので、もう見てくれてはいないと思うけれどここに返事のようなものを書いてみたい。

かっこつけと言われたけど、かっこつけでも虚勢でも何でもいいから彼には生きていてほしかった。

彼の絶望がどれほどのものか私にはわからない以上、生きていてほしいというのは傲慢かもしれない。
それでも敢えて言う。やっぱり生きていてほしかったと。

死んだ後に本当に救われただろうか。
彼は後悔したんじゃないかと思う。根拠は何もない。ただ漠然とそう思うだけだ。
彼の絶望を軽んじるわけでない。でも彼なら乗り越えるだけの力があったと思う。

その時期さえ乗り越えられたら、違う答えにたどり着いたんじゃないだろうか。

人の気持ちは変わる。絶対ではない。
今の心境は自殺を選んでいても、未来の気持ちはそうではないかもしれない。

夜が明けて太陽の日差しを浴びたり、美味しいものを食べたり、好きな人が話しかけてくれたり、拾った猫の体温を感じたり、気になっていたマンガの続きが出ていたり、何か些細なきっかけがあれば気持ちは変わるかもしれない。

それは人によっては抗鬱薬を飲んだり、 ‎自己破産をすること、誰かに助けを求める勇気を出すことかもしれない。

未来永劫同じ気持ちを持ち続けることは不可能だ。だけど、一度自殺を選んでしまえばもう後戻りはできない。

自殺を禁じる宗教を信じてもいないし、全ての自殺を否定するわけではない。
精査していないけれど、死期が間近に迫っていれば延命措置をやめ尊厳死を迎えることに一票入れる気がする。

では何故、この世界に彼を留めようと思うのだろうか。

両親や家族、友人等、誰かが悲しむというのも理由としてはある。
だけどそれだけではない。
誰かが悲しむからと言うなら、悲しむ人がいない人はこの世に留まる理由がなくなってしまう。

誰かがいなくても、自分の為に生きてほしい。自分を好きだったり自分を敬う気持ちがあれば、つらくてもどうにか生きていけるのではないかと思う。
自分を大切にできるその日まで、死ぬのを先送りにはできないだろうか。

それと、どんなに生きたくても病気などの理由によって死にゆく人のことも少しだけ考えてほしい。
自殺する人がいる一方で、生きたいといいながら死んでいく人がいる。

この考えを押し付けるつもりはない。感想をくれた人には全然関係ないかもしれない。でも誰かに届けばいいなと思う。

もし、感想をくれた人が今つらい状況にあるなら、その状況がいい方に変わって地獄から抜け出せることを願っている。




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