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人間関係の断捨離。誰かに時間を使うことは別の誰かには使わないということ


人間関係の断捨離。誰かに時間を使うことは別の誰かには使わないということ



前に人間関係や趣味の断捨離について書いたこと(「人間関係や趣味の断捨離。やめどきっていつだろう」)があったが、「人間関係、断捨離」で検索してサイトに来てくれた人にとって、今一つタイトルと内容が噛み合っていない気がするので、再度人間関係の断捨離について書いてみる。

誰か断捨離したいと心に思う人があって、検索してここに着いたのならもう自分の中で結論は出ているんじゃないかと思う。

人に対して、物と同じように断捨離をしようとしていることに抵抗を感じているのかもしれない。
ずっと仲良くしてもらったから、義理があるから、その人を切り捨てようとしていることに負い目があるのかもしれない。
その人との関係がなくなったら寂しくなるんじゃないかと思っているのかもしれない。

でも、無理をして関係を続けて自分が苦しくなっても仕方がないよ。

その人間関係が損だから得だからとか、メリットがあるとかないとか、そんなことで関係を切るのは好きじゃないけれど、一緒にいてただ疲弊するだけなら、鬱々として少しも楽しめないのなら、素の自分でいられいられないのなら、思い切って関係を断ち切ること考えてもいい。

世の中にはただ搾取するだけの人や、あなたのそのままの価値を認めない人や、支配することがあなたを庇護することだと思っている人がいて、そういう人とずっといるとエネルギーが枯渇してしまう。

「嫌われたくない。いい子でいたい」という気持ちだけで自分に嘘をついて関係を続ければ、本当に大切な人との時間を失う。

忘れがちになるけれど時間は有限で、いつまでも今のままではない。

誰かに時間を使うことは、別の誰かには使わないということ。
大切な時間を誰と過ごすのかは、よく考えた方がいい。

自分がいなくなったら、その人が可哀そうだから離れられないというのは、優しいけど傲慢にも思える。
だって、あなたの心はもうその人にはないのに。あなたがいなくなって一時寂しくても、その人はまた別の新しい人間関係を構築していく。
人にはそれだけの力がある。

断捨離したくとも、親とか職場の上司とか容易に関係を切ることができない相手の場合もあるだろう。
そのときは精神だけでも断捨離してはどうだろうか。

仕事が終わったら、その上司のことは考えない。親ならはっきり縁を切らないまでも、別な場所に暮らす。四六時中干渉される生活から逃れて精神的に自立する。
全てを無にするのではなく、離れられる部分を離れるのだ。

ただ一つ忘れてはならないのは、相手にも断捨離する自由があるということ。
自分もその対象となる日が来るかもしれない。

それでも人間関係をどう構築するかは誰にとっても自由なことだから、それを受け入れられるくらいの覚悟を持って、人と繋がっていこう。




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