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前世を知る旅『前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って』を読んで
『前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って/森下典子・著 (知恵の森文庫) 』を読んだ。
この物語は、フリーライターの森下典子氏が、前世が見えるという女性、清水博子を取材しその体験記の執筆を依頼されるところから始まる。
本の裏表紙には、
「あなたの前世はルネサンス期に活躍したデジデリオという美貌の青年彫刻家です」――― 前世が見えるという女性に取材で出会ったのがきっかけで、イタリアまで旅立つことを決意した。 相次ぐ偶然の発見に驚きと懐疑を抱きながらも、時空を超えて前世の「自分」を検証する、 スリリングで不思議な旅のルポルタージュ。
『前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って』より引用
と書かれている。
ネタバレもあるので、気になる方は以下は読まないでほしい。
筆者はスピリチュアル信奉者ではなく、前世を語る清水に対して懐疑的な見方で接しているが、イタリアに精通していないはずの清水が、彫刻家としてのデジデリオの生い立ちや境遇を詳細に語り、知らないはずのイタリア語の単語を綴るのを見て、そしてデジデリオがイタリア、フィレンツェに実在したことを知り次第に引き込まれていく。
デジデリオの生きたルネサンスやフィレツェを調べていくうちに、日本にいては真相に近づけないもどかしさに突き動かされて、イタリアへと旅立つ。
知りたいという気持ちに呼応するように、情報が次々と引き寄せられてくるシンクロニシティも起き、興味深い。
フィレンツェでデジデリオの謎を紐解いていく様子は驚きと興奮に満ちている。
イタリアの描写が美しい物語である。
それはイタリアへの愛かもしれないし、生まれ変わりを信じるならばそれは郷愁とも言える。
私自身は、輪廻転生や生まれ変わりを信じているし、スピリチュアルな事象も好きだ。
ただある種の胡散臭さと結びつきやすい世界だとも思っているし、無批判で全てを受け入れる程信じているわけでもない。ネットでは前世占いの類も沢山あるが、あまり興味はない。
だから筆者が信じる気持ちと疑う気持ちの間で揺れ動くのがよくわかる。
リーディングやチャネリングによって前世のことを見てもらっても検証できないことが殆どだと思う。
以前は、イアン・スティーヴンソン著の『前世を記憶する子どもたち』(日本教文社単行本)にあるように、生まれ変わる前の記憶が実際の現実世界と一致するといった科学的根拠が示されることを期待していたが、前世が検証されにくい世界だということを知るにつれ、
科学的根拠にはこだわらなくなった。
そのソースが真実かどうかより、生きる指針としての意味があるかどうかが大切だと思うようになった。
まぁ検証するのは難しいよねという諦めもあってそういうところに落ち着いたわけだが、前世と思われる人物が実在していて、もし自分の身に起きたならば、その事実に興奮を覚えずにはいられないだろうと思う。
輪廻転生が仮にあるとして、面白いなと感じたのは、筆者がデジデリオの制作した祭壇に対面するシーンと、彼が亡くなった場所に立つところだ。
前世の記憶が蘇って筆者がむせび泣く様を想像するが、意に反してそういうドラマチックなことは起こらない。
「見たことがある」も「懐かしい」という感覚も呼び起こされない。
筆者ほどこよなくイタリアを愛する者であっても、そういう奇跡は起こらないのだ。
その事実はスピリチュアル好きな人間としては少し興ざめな感じもするが、多分、その過去との隔たりは適正なものなのだろう。
そうでないのなら、人が前世の記憶を持って生きてきてもよいからである。
前世を記憶する子供もいるが稀なことだと思うし、本やテレビでみる限り、成長するにつれてやがて前世の記憶は失われていくようだ。
それは今世にとって必要のない情報だからではないのか。
あとがきには、デジデリオが愛した恋人も今生に転生していて、その事実を手紙にしたためたことも書かれている。
かつての恋人はその事柄を面白がってはくれるが、再び恋心に火が付くといったことも起こらない。
好きな人がソウルメイトだったらいいと考えていた若い頃の自分なら、そんな展開を望んだだろうが、今は密やかな薄い結びつきの方が緩くていいなと感じてしまう。
ときどきスピリチュアル的なものとの距離感が取れなくなって、前世の事象に傾倒しすぎるあまり、現世を軽んじてしまう人がいて、あるかなきかの糸を楽しめないのは辛いことなのではないかと思ったりする。
多分それも一過性のもので、後は現実に戻ってくるのだろうけれど。
それでもこうして前世の物語が読めるのは、その世界を垣間見てもよいというメッセージに思えてくる。
人が死んで全てが無くなってしまうのが哀しい。存在の痕跡がどこかに残っていてほしい。
生まれ変われば、性別も能力も性格も違ってしまう。時代も価値観も違う。それどころか容姿も肉体も違う。
その人をその人足らしめる記憶すらない。
果たして、それはその人なのだろうか。
潜在意識の大きな領域の中に過去世、その人間であったものは存在しているのだろうか。
そう考えると、前世、来世といったことが仮にあるとしても、やはり一回性のものなのか。
そうであっても魂の一部には刻まれるものと信じたい。
答えが出ないから考えるのが楽しい。色々なことを考えさせられる良書だった。
(※女優の杏さん主演でテレビドラマ化もされているようだ。機会があれば見てみたい。『フィレンツェ・ラビリンス~15世紀の私を探して』)
前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って (知恵の森文庫)