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「生きづらい。それでも生きていく」サイトを見てくれる人へ
サイトを運営するようになって、少しずつ色んな人に見てもらえるようになった。
感想をもらったり「みんなの生きづらさ」に投稿もしてもらえるようになった。
優しく傷つきやすく、過剰な罪悪感に苛まれていたり自分を責めている人が多いように思う。
不謹慎かもしれないが、悩み苦しんでいる姿に魂を揺さぶられる。
命のきらめきに惹きつけられる。
スタジオジブリの『耳をすませば』の中で、聖司の祖父の西司朗がエメラルドの原石が含まれる雲母片岩という石を雫に見せて
「そう。雫さんも聖司も、その石みたいなものだ。 まだ磨いていない自然のままの原石。私はそのままでもとても好きだがね。しかし、バイオリンを作ったり 物語を書いたりするのは違うんだ。自分の中に原石を見つけて時間をかけて磨くことなんだよ。」
というセリフを言うシーンがある。
宮崎駿は、物を作る人間へ向けて言っているのだろうが、芸術作品に結実させなくても、人は人生を通して、宝石の原石を磨く作業をしているように思う。
ダイヤモンドを研磨するように一面一面磨いていく。
自分を切り取られるのだから当然痛みはある。
人によって早い遅いの違いはあっても、今世で終わらなくて来世に持ち越しても、全ての面が磨かれるよう何かを体験していく。
ただそれは、辛い経験だけではなく幸せな経験もまた自分を磨く。喜びと一緒に磨かれていく。
サイトを見て苦しんでいる人には、苦しんだ分幸せになってほしい。もう自分を責めないであげてほしい。
大好きな友達や恋人や家族が、生きづらさに悩み苦しんでいたら、その人にどういう言葉をかけてあげるだろうか。
「辛かったね」
「すごく頑張ってきたことを知っているよ」
「大丈夫だよ。もうそんなに自分を苦しめなくていいんだよ」
そんな風に優しい言葉をかけてあげるのではないだろうか。
その言葉を自分自身に向かって発してあげてほしい。
自分に厳しい態度でばかり接するのではなく、自分を大切な誰かのように丁重に扱ってあげてほしい。誰がそうしなくても、自分だけはそうしてあげてほしい。
そうされる資格が自分にはないと思っているのは、自分だけだ。
自分の価値を貶めているのは自分自身。そうされるだけの価値がある。
誰が見ていなくても、誰も評価しなくても、辛さに向き合ったことは宇宙の軌跡に刻まれていく。
そして誰より自分自身が知っている。価値がないことなんて何もない。
そのことに気づいて、自由な翼を手に入れてほしい。過剰な罪悪感を解き放って幸せになってほしい。
この世でたったひとつしなくてはいけないことがあるとするなら、最終的に自分を受け入れて好きになって、幸せになることなんじゃないかと楽天的に思うときがある。
自分さえよければという利己的な自己愛ではなく、自分を好きになって受け入れる。
自分を受容して、それから他者を受け入れることができれば、きっと美しいダイヤモンドが完成するだろう。
何もできないけれど、サイトを見てくれた人が苦しみから解放されて幸せになることを願っている。
欺瞞と言われるかもしれないが、それで私も救われる。