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何もしなくていい、予定のない休日
どこにも出かけずくたくたと9月の連休を過ごしている。
スケジュール帳が埋まっていないと不安に思う人もいるみたいだが、休日の予定がびっしり埋まっていると逆にプレッシャーを感じる。
そんな風に何の予定もない時間が好きな自分なのに、少し前まで、世間の常識に合わせて、人と会わなければ、どこかへ行って新しい体験をして前向きに過ごさなければ、などと考えていた。
有意義に過ごさなければという強迫観念があって、それを少しも達成できない自分が不甲斐なかった。
時間を無駄にしているような気がして憂鬱だった。
最近やっと、別に休日の使い方なんか人それぞれでいいじゃないか、疲れを取る為にただ寝ていても思いっきり自堕落に過ごしても、それで人に迷惑を掛けないなら構わない、という気持ちになっている。リア充の人と同じことを自分に強いる必要はない。
取り立ててどこかに出かけなくても、洗濯もしたし、洗濯槽もきれいにしたし、部屋もまぁ丸く掃除機をかけた。
ベッド周りの本やマンガも片付けたし、机の上からもだいたい物がなくなった。
それだけでもすっきりしたような気持ちになる。
楽しい投稿に満ち溢れているだろうfacebookにはログインしない。
趣味の制作活動を少しだけして、ついやりたくなる作品に対する自己批判は棚上げにする。
好きな小説家の一人、桐野夏生の『ポリティコン』を読み終える。
『ポリティコン』は残念ながらあまり心に響かなかったが、桐野夏生の小説につてはいつか書いてみようと思っている。
褒められるようなことは何もしていないけれど、それで十分だ。
晴れていて、暖房も冷房もいらない9月の空気は心地よい。
潤沢な時間を浪費することに幸福感を覚える。
幸せの形は人それぞれだ。
ささやかなことでも、自分が幸せならそれでいい。
無為に過ごす放埓さが心地よいのは、心に響かなかったと言ったが『ポリティコン』の影響かもしれない。
どこまでもエゴイストで他人に迎合せず、毒に溢れた桐野の登場人物達は、少しも共感できないが読んでいて小気味いい。
放埓といっても、自分の場合は単にそんな気分といった問題でしかないが。
このまま世捨て人のように世間に関わらないで生きていければ幸せなのに、と愚にも付かないことを考える。
連休明けの出勤日になれば、というより前日の夕方になればまた鬱々した気持ちが戻ってくるだろう。
何もない空白の贅沢をしばし味わおう。
ポリティコン 上 (文春文庫)
ポリティコン 下 (文春文庫)