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ある日を境にして毎日通っていたあの場所へ行かなくなる不可思議さ

ある日を境にして毎日通っていたあの場所へ行かなくなる不可思議さ

<2017.4.8>

4月になった。桜が美しい春。
卒業や就職や転職など、人によっては環境が大きく変わる季節でもある。

学校を卒業したり職場を退職したりして、毎日通っていた場所へ、ある日を境にして行かなくなる。
それが不思議なことに思えてならない。

昨日まで行くのが当たり前だった場所が、もう当たり前ではなくなる。
その場所で、勉強や仕事をする必要がなくなる。毎日顔を合わせていた友達や同僚とも会うことはなくなって、たまに会っても一緒に仕事をするわけでもなく、関係性も微妙に変化している。

その日を境に、世界は一変する。

それを人に話したら「当たり前じゃない」と一笑に付されたが、奇妙に感じる感覚は変わらない。

何故不思議に思うのか自分でもうまく言語化できないが、終わりが来たことが納得できないのかもしれない。
まだ自分の中では終わっていないような感覚。

多分、私は終わりをきちんと終わらせることが苦手だ。
感情が揺さぶられることを避けてしまう。

人によっては感動的な卒業式の類も、できるならば出ないで済ませたいし、会社を自分の意志で退職するときも大げさな別れの挨拶なんてせずに、許されるならばいつもと同じように淡々と終わらせたい。
仰々しい別れよりも、フェードアウト的な別れ方の方が、気が楽だ。

「パラレルワールド」という言葉がある。
パラレルワールドとは、私たちが暮らしている世界とは、別の世界がいくつも重なって存在する世界のことで、並行世界とも呼ばれる。

世界は無限に分岐する。私たちが選んだ選択の数だけ、パラレルワールドが存在するという人もいる。
今私がいる世界にごく近いパラレルワールドでは、今の私を取り巻く環境とほぼ同じ。差異はごくわずか。

この私なら、仕事中に消しゴムを落としたらそれを拾うだろう。重なり合う世界の私は、消しゴムを落としたことに気づかず拾わないかもしれない。それほどの小さな差。

でも幾層にも重なる先の、遠いパラレルワールドでは、大分状況は変化している。
私は、消しゴムを使う仕事をしていないかもしれないし、下手をしたら私はその世界に存在すらしていないかもしれない。

その場所への扉が閉ざされたのに、自分の一部はまだそこにいるような感覚が残るのは、パラレルワールドにいる、もう一人の自分から何かしらの情報を受け取っているからではないのか。
そんな風に考えてみる。

あちらの世界では、かつていた学校で勉強を続けたり、今はとうに辞めた会社で仕事をしている自分がいるのかもしれない。
あの職場を辞めない選択もあった。学校を卒業するというのも、時間が一定方向に流れている前提の基に、そう知覚しているだけかもしれない。
毎日通っていたあの場所に、もう一人の私は今もいるのではないだろうか。

認識できないだけで、どこかで感応している。

だから、結末をつけたくないのだ。
終わりという区切りをつけてしまえば、パラレルワールドにいる自分との繋がりが切れてしまうから。

ただの戯言。結末という区切りをつけるのが嫌なだけだ。終わってしまうことが悲しい。
春。そんなとりとめのないことを考えている自分がいる。




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