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物理世界と演算世界の対比が美しい、つかいまこと『棄種(きしゅ)たちの冬』
棄種たちの冬 (ハヤカワ文庫 JA ツ)
<2017.3.4>
『棄種(きしゅ)たちの冬』(つかいまこと著・ハヤカワ文庫)を読んだ。
久しぶりに手にするSFだったが、ことのほか引き込まれたので、少し感想をかいてみたい。
二層に連なる二つの世界を軸に、物語は進行する。
一つは、厄災による滅亡を免れる為、人類が物理的な肉体を捨て去り、演算世界へ移住した世界。もう一つは、演算世界へ移住しなかったわずかな人々の末裔が暮らす荒涼とした物理世界。
この取り残された物理世界に住む人間たちが「棄種たち」というわけだ。
移住が行われて長い月日が経ち、棄種たちは、かつての知識や文明を失っている。
毒の胞子を持つ危険な菌(きのこ)が生い茂る菌叢に分け入り、カニと呼ばれる生き物を狩って、それを食糧にしている。それはときに、狩るものと狩られるものは入れ替わるような、過酷な世界だ。
人々はクラン、集団を作って暮らしているが、弱い女や子供は人として扱われず搾取される対象でしかない。
運命に抗って、クランを抜け出したサエとシロは、黒のクランの追手から逃れる為、定住地も持たず彷徨い、その日を生き延びている。人のいなくなった市街は、建物がいつ崩れ落るともしれない。わずかなミスが死に直結する。
そんな暮らしの中、サエとシロは、みすぼらしい子供を菌叢の中で拾う。
ショータと名付けられた子供は、自分の感じていることと上手に付き合うことができないような、どこか変わった子供だった。
第2章、物理世界とは全く異なる演算世界が描かれる。
大規模な気候変動から逃れて、人々はデータとして生きることを選択した。
飢えや痛み、死すらもなく、身体や気分をもパラメータを使って簡単に調整できる世界は、一見ユートピアのように見える。体験だけが貴重な価値として共有されている。
デジタルな世界では、死もただのコンテンツとして消費されていく。
物理世界の人間は演算世界のことなど知る由もないが、演算世界の人間は、物理世界のカニに同化することで、生き物の感覚をリアルタイムで共有する。カニを通して、物理世界の人を狩りまたは狩られる体験を娯楽として楽しんでいる。
そんな世界に生きるクウは、行き場のない感情を抱えていた。移住する以前から「自分と世界の間に薄い膜があること」を感じていて、ユートピアのようなデータ世界にいても、その空虚感は、変わることがない。
ショータとクウが、演算世界と物理世界を繋ぐ鍵となっている。
クウの感じた空虚感や厭世観は、私が抱えているものと同じように思えて、切ない。
世界に居場所がないと感じる人間が、どう生きればいいかの答えをクウが示してくれる。
誰かと出会い、何事かを体験していくことで、全てに中途半端な自分をも諦観するクウ。
静かなラストに、胸を突かれる。
クウ、あるいはショータは生きる意味を見つけただろうか。
一見遠い世界の物語ようで、身近にある「生と死」を問う一冊となっている。