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今はいない親友からもらったユッカの花が咲いた
家にある観葉植物のユッカの木に、花が咲いた。
硬く尖った剣状の葉を放射状に伸ばす植物で、別名は「青年の木」、学生の頃にもらって、もうずいぶんと長い付き合いだ。
毎年ではなく不定期に花が咲くが、ここ何年かは一度も咲いていなかったので、少し驚く。
薄いオレンジ色の花が2輪、ネットで検索すると白くて丸っこい花が咲くのが普通のようなので、もしかしたらユッカじゃないのかもしれない。
それともそういう種類があるのだろうか。
誕生日に大好きな友達がプレゼントしてくれた。
太い幹の横からちょこっと小指のような枝が出て、その先にかたく尖ったシュッとした葉がついていた。
嬉し気持ちと、不安な気持ちが湧き上がった。
ずぼらな私に育てられるのか、もし枯らしてそのことを彼女が知ったら悲しむだろうな、枯らしたことを責めるような人ではないけれど、そこを引き金にして友人関係も終わってしまうのではないか、そんなことが一瞬頭を駆け巡った。友情にケチがつくような気がしたのだ。
けれど、嬉しそうに手渡してくれる友達に、そんなことを言えるはずもなく、私は笑顔で受け取った。
すぐ弱って枯れてしまうのではと心配させたユッカだったが、意に反して長いこと私といるようになる。
きちんとした知識もなく投げっぱなしだったが、ユッカは徐々に大きくなっていった。
幹の横から小さく覗いていた葉は、やがて大きく硬くなり、幹の上へと高く伸びていった。
ずっと順調だったわけではない。
水のやりすぎから葉っぱが黄色くなって、幹もブヨブヨスカスカ、瀕死の状態を彷徨った。
もう助からないと覚悟したとき、植物に詳しい知人が、まだ枯れていない葉が付いた幹の上側と、腐った幹を切断してくれた。
背は大分小さくなってしまったが、どうにか枯れずに助かった。
その間、友人とは少しずつ疎遠になっていった。
彼女がいない日常なんて考えられないと思っていたのに、会わない時間、知らないことの方が多くなっていった。
ぴったり合っていたはずの歯車が微妙にずれていく。価値観の隔たりも出始めていた。
いつか会えると思っているうちに、いつかの時期はどんどん間遠くなり、やがて途絶えた。
彼女が地元を離れ、東京に行ったことを別な友人から聞かされた。
会わないままに時間だけがすぎ、何年か後に地元に帰ってきた彼女は重い病魔におかされていた。
ユッカは助かったけれど、彼女は助からなかった。
そのとき、人生には想像もしていないことが起こるということを知った。
ユッカをプレゼントされたとき、こんな未来が来ることを少しも考えてはいなかった。
しばらく彼女を思い出すときは、最後に彼女に会った日の姿ばかりが思い出されて辛かったが、あれから5年以上の月日が流れて、今浮かぶのは学生時代の綺麗で生き生きとしていた彼女だ。
もっと一緒の時間を過ごしたかった。
一緒にいられた時間がどんなに幸せなことか、あの頃は少しもわかっていなかった。
「あのときもらったユッカ、まだ家にあるんだよ」彼女にそう告げるのを忘れてしまった。
そのユッカが今、花を咲かせている。
(彼女のことはこちらにも書いています「今日は亡くなった友達の命日」)