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停滞していてもリアルな時間は過ぎていく
とても尊敬している女性がいる。
人を助けるという素晴らしい仕事を、寸暇を惜しんで寝食を忘れて果たしている。その成果の多さには目を見張るばかりで、仕事を、人を愛していることが伝わって来る。
どうやったらそんなに多くのことを果たせるのか、訊ねてみた。
帰ってきた言葉は、「停滞していてもリアルな時間は過ぎていくからね」だった。
自分に言い聞かせるように重ねて「リアルな時間は残酷だからね」と小さくつぶやく。
無理やり自分を鼓舞してしている風ではなく、時間の有限性を十分に知っている静かな諦観が感じられた。
ありきたりの言葉かもしれない。
多分これがその人から発せられた言葉でなければ、ただ聞き流してしまっただろう。
他ならない、その人から発せられた言葉の意味を考える。
時間が過ぎ去っていることを頭では知っていても、体感として知っている人は少ないと思う。そうではないと知りつつ、今日と同じ明日が当たり前にやってくることを信じて疑わない。
だから今日をいうありふれた一日を無為に過ごすことができる。
ありふれたと思うのは幻想だけれど、そんな風に思い違いをしている。
夢を叶えたい、目標を達成したいと思いながら、その為に具体的に何をしているかというと実際のところ殆ど動けていないのだ。少しずつ動いてはいるが圧倒的に熱量が足りない。
いつかやると思っている。いつか…今日じゃないいつか。多分ずっとやってこない、いつか。
そして、前に進めない言い訳を山ほど自分にする。
「忙しくて疲れているから」「気分が乗らないから」「やる気が出ないから」「まだ準備ができていないから」「お金がないから」「今日位やらなくたって同じだから」
言い訳なんて必要ないのだ。
やらない結果を引き受けるのは、他の誰でもなく自分なのだから。
誰も肩代わりしてくれない。
もちろん助けたり応援したりはしてくれる。でも自分の人生で、実際に手足を動かせるのは自分しかいないのだ。
今日できることを淡々と積み重ねる。
リアルな時間は残酷に過ぎていくから。