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エネルギーを出し惜しんでいた頃よりエネルギーが出ている

エネルギーを出し惜しんでいた頃よりエネルギーが出ている

<2016.8.16>

一時期、睡眠障害がひどくて休みの日は寝てばかりいた。
基本会社は土日が休みだが、休みにどこか出かけなければいけないときは、土日連続で出かけないようにスケジュールを組んだ。

自分の体力に自信がなくて、友人と出かけるときも、楽しいはずなのに、夕方まで体力が持つんだろうかと心配になって、心から楽しめない。
土日に疲れ切れば、ただでさえ行くのがしんどい会社になんて到底行けない気がした。

エネルギーが自分にはないと思っていて、エネルギーを溜め込もう溜め込もうと腐心した。
そんな風にエネルギーを出し惜しんで温存しようとしても、エネルギーはダダ漏れで毎日ぼろ切れのように疲れ切る。

今、スピリチュアルを学ぶようになって、少しだけ自己承認ができるようになると、エネルギーを出し惜しんでいた頃よりずっとエネルギーが出ている。

エネルギーって、溜めこもとしても溜めこめるものではなくて、循環させるものなんだとやっと理解できた。

そこに気づくと、休みの日も朝早く起きられるし、昼寝をしなくても平気になった。
土日連続で出かけて疲れても、別に死ぬほど疲れないこともわかった。

それでも人に比べたら体力がない方だろうけど、人と比べて落ち込む必要もないんじゃないだろうか。
比べて体力がつくわけでもないし。

エネルギーが自分にはないと思い込んでいる世界にいたとき、エネルギーを使うか使わないかということはすごく重要なことだった。

エネルギーをなるべく使わないで済むよう、全ての物事を損得勘定で考えるようになる。
自分は損したくない、人より得をしたい思いに縛られる。

会社では、自分が損してるんじゃないか損するんじゃないかということが心配で、自分だけが割を食っているように感じて不満たらたらになった。会社以外の人間関係でも、他の人が分担してくれていることには目がいかず、自分ばかりがやっているような被害妄想に陥った。

何より、行動に見合う結果が得られるかわからないことにリソースをかけるなんて、怖くてできない。
何かの学びを始めても、結局は物にならないだろう、所詮無駄だと途中で簡単に諦めてしまっていた。

与えず、与えてもらうことばかりを考えて、損をしないように生きる。
それが効率的で合理的な生き方だと思っていたけれど、逆にエネルギーは枯渇して人間関係もうまくいかず、新しい挑戦もできなくなっていった。自分を取り巻く世界は小さくなる一方だった。

今、物事を損得で測るのをやめた。
損してもいいと思っているわけではなくて、損するかしないかにそれほど重きを置かなくなった。

まず与えてもらおうとする前に、与えられるものを誰かに与えようと思う気持ちになれると、絶対に損をしたくないという不安や恐怖から解放される。

自分にも与えられるものがある。ちっぽけなものかもしれないけれど、受け取る人はどこかにきっと存在する。

そういう生き方にシフトし始めている。出会う人や人間関係も少しずつ変化している。




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