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今日は亡くなった友達の命日
カレンダーを見て、今日が友達の命日だったことに気づく。月日が経つのは早いもので、もう四年の月日が経っていた。
彼女とは学生の頃の友達で、とても仲がよく、彼女がいなければ夜も日も明けなかった。片思いの恋の悩みや将来のこと、たわいもない日々のこと、なんでも話して尽きることがなかった。彼女といると私は饒舌だった。
社会人になっても、そんな関係がずっと続くと思っていたが、少しずつ会う感覚が間遠くなっていく。話も微妙に食い違って、お互い別の価値観が出始めていた。彼女が変わって話が合わなくなったことをもどかしく思っていたが、私も学生のままではなかった。前のような関係に戻りたいと思いながら、日常の忙しさに紛れ、どうすることもできない。
段々と疎遠になり、連絡を取ったり会うこともなくなっていった。
別の友達を通して、彼女が地元を離れて、東京へ行ったことを知る。
もう会うこともないのかもしれないと、漠然と思った。
何年かして彼女が重い病気を患って、両親のいる地元に戻ってきたことを聞いた。
もう彼女が長くないことを知った友達が、彼女と関係の合った人達に声を掛けていた。
お見舞いに行くか行くまいか迷った。
東京で闘病生活をしていたなら、見舞に行くことはなかっただろう。もう親しくはない自分が東京までわざわざ見舞に行くことは、彼女に死期が近いことを知らせに行くようなものだからだ。死期の告知を受けたかどうか、連絡をくれた友達も詳しくは聞いていなかった。地元なら、何気ない風を装って会いにきたよと言うことができそうな気がした。
それでも私はまだ迷っていた。
綺麗なのが誇りだった彼女が病魔に侵された姿を見せたいだろうか。具合のよくないことを分かって行くのはただの自己満足ではないのか。
でも、もう彼女に会えるのは最後かもしれない。会いたかった。
意を決して、友達から聞いた彼女のメールアドレスに連絡を入れた。
「うん、来て」
短いメールが返ってきた。
病室を尋ねると、彼女の個室には誰もいなかった。
児童文学が好きだった彼女の為に選んだ何冊かの本を携えてきたが、もうその本を読む体力も残っていない様子だった。
すっかり痩せて別人のようになってしまっていたが、目の辺りに以前の面影が残っていた。涙がこぼれないように目を伏せる。
見えない壁が二人の間にはあった。死を間近に控えた者とそうでない者の決定的な壁。
「死」に不随する言葉を避けようとすればするほど、掛ける言葉が見つかなくなっていく。
彼女は自分がもう長くないことを悟っているだろう。けれども、彼女が死に関する言葉を言わないなら、私も何も言うことができない。
「死なないで。こっちへ戻って来てよ。また一緒にご飯を食べに行こうよ」
そう言って彼女に懇願したい。
けれど、死にたくないと誰より切望しているのは彼女自身なのだ。
あのとき、二人を隔てている壁を取り去る言葉を探したけれど…、後になっても何か言えたのではないかと思ったけれど、そんな魔法の言葉なんかありはしない。
壁があっても、壁越しに話すしかなかったのだ。生きている彼女と話すには、そうするしかできないから。それは彼女も同じだったかもしれない。
いつか、私も彼女が座っていた場所に座る。
そのとき彼女の本当の気持ちが理解できるだろう。
会話をするのも辛そうに見えたので、病室を出ることにした。
彼女のことを気遣ったつもりだったが、居たたまれなかったのは自分の方だったかもしれない。
帰り際に声を掛ける。
「じゃまた」
「また来てね」
「うん、また来るよ」
それが彼女と交わした最後の言葉になった。
その約束を果たせないうちに、彼女は逝ってしまった。
あなたが東京に行ったきりで、もう会えなくてもよかったの。若くして逝った彼女はさぞ無念だったと思う。
あなたがどこかで幸せに暮らしていれば、それだけでよかった。こんな形で会いたくなかった。
でも最後に会えてよかった。
私は死ぬのが怖い。
だけど、あなたがいるから、死ぬのが少しだけ怖くなくなったよ。
今までずっと、ありがとう。
今日、彼女の為に空色の小さな花を買った。
あの頃彼女と学校の屋上から見た空の色によく似た、澄んだスカイブルーの花。
(彼女のことはこちらにも書いています「今はいない親友からもらったユッカの花が咲いた」)