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子供の頃の幸せな思い出を思い出す

四葉のクローバーのモチーフが描かれたマグカップを使っている。
便箋や友達へのプレゼントも割とクローバー柄を選ぶことが多い。
四葉のクローバーは、幸運のシンボルとして知られていて、形も可愛らしいが、何故無意識にクローバーを選ぶのか、その理由を考えてみると、クローバーが子供時代の幸せな思い出に結び付いているからだと気づいた
子供の頃は、運動ができなくていじめられっこだったので、あまりいい思い出がない。
楽しい思い出がないわけではないのだが、嫌な思い出に浸食されて、楽しかったと心から言える記憶が少ない。
子供時代に戻してあげると言われても、戻りたくないと答えるだろう。
そんな中でも、叔母と過ごした時間は、無条件に愛してもらったかけがえのない幸せな時間だった。
小学校の一、二年生くらいの頃だっただろう。
他県に住んでいた母の妹は、ときおり家を訪ねてきて、私を色々なところへ連れて行ってくれた。
私がとりわけ好きだったのは、おやつのサンドイッチを片手に出かける一面のクローバー畑だ。
春の日差しを浴びて、クローバーが特に群生しているところを目指して野原を駆け、歩きながら、ときには寝転がりながら四葉のクローバーを探した。
見つけた時には嬉しくて、はしゃぎ回った。
四葉の他にも五葉や、六葉のクローバーもあって、叔母と見つけた数を競った。
探すのに飽きると、シロツメクサの白い花で首飾りを編む。
丸い輪っかにすることができなくて、叔母に仕上げてもらって、首に掛けたり頭に乗せたり、まるでお姫様になったような気がしたものだ。
小学生のたわいもない話を叔母は優しく聞いてくれた。
二人で食べるサンドイッチ。
ただそれだけのことがたまらなく嬉しく、幸せな時間だった。
私は叔母にとって初めての姪だったので、それは可愛がってもらった。
雨の日の放課後、傘を持って迎えにくるヨソのお母さんを眺めながら、一人っ子で鍵っ子の自分は誰も迎えに来ることはないなぁと思っていると、思いがけなく迎えに来た叔母の姿を見つけた喜び。
手に抱えた鮮やかな黄色い傘が忘れられない。
運動会の徒競走で、嫌々走ってる私に精一杯声援を送ってくれたこともあった。
運動会は嫌だったけれど、ひときわ大きい声援のおかげで頑張ることができた。
私を置いて自分の家に帰るときには、一人っ子の私が可哀相だと涙をポロポロ流して悲しんでくれた。
当時、私にとって叔母は一番大切な人だったし、叔母にとっても、そうではなかったかと思う。
独身だった叔母が結婚し、子供ができると、私は一番の存在ではなくなっていった。
私が大人になると、大人としての振る舞いを求めるようになった叔母は、好きだけれど少し煙たい存在になった。
だけど、あの頃、沢山の愛情を注いでもらったことが、私の中に残っている。
あの頃の幸せな思い出が、暖かい日だまりのように光を与えてくれている。
叔母がいなければ、子供時代はより影の深いものになっていただろう。
そのときどきの人との関わり方は移ろっていく。
離れてしまうこともある。
それでも愛された温もりは、その人の一部になってずっと輝き続ける。
感謝の感情が心を満たす。
多分ささやかな幸せとは、こういうことなのではないかと思う。
今日久しぶりに叔母に電話をしてみよう。