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心理学とスピリチュアルの中間のようなセミナーに通い始めて感じたこと
以前の記事でも書いているが、一昔前に流行った自己啓発系セミナーがダメだ。(「自分を変えたくても自己啓発セミナーには参加したくない」)
前に会社の方針で参加させられて人前で自分の考えを話すのも苦手な私には本当に合わないなと感じた。
それが高じてセミナー全般に苦手意識がある。
全ての自己啓発セミナーがそうではないと思うし、自己啓発セミナーに偏見があることを自覚もしている。
それでも好きにはなれなくて、なるべくセミナー関連には関わらないようにしてきたが、人間関係でうまくいかないことが多くて、自分の中の禁を破って心理学とスピリチュアルの中間のようなセミナーに通い始めた。
セミナーの内容については、今は勉強している途中だが、自分の中で咀嚼できればこのブログに書くかもしれない。
具体的な内容については触れていないけれど、そのエッセンスは既に少しずつ書いていたりもする。
(もちろん参加者の個人的な事情については今後も言及するつもりはない。)
セミナーに参加して思うのは、悩みを抱えているのは自分だけじゃないんだということ。
一見何一つ悩みなんかないようなきらきら輝いている人が、笑顔の影に悩みや不安を抱えていたりする。
もちろん深刻な悩みがない人もいるが、そういう人は人生をより良くしたいと思って参加しているようだ。
普段なら絶対に接点を持たない人たちの心の領域に立ち入らせてもらうことに、不思議な感覚を覚える。
そして私も普段絶対に見せることのない自分を開示する。
少しだけ自分を開いて思っていることを話して、それを静かに聞いてもらえると、受容されている感じがする。
ほぼ何も知らない出会ったばかりの人たちなのに、表面的には目に見えない深い何かを交わす。
いつからか、ずっと素の自分は受け入れられないと思い込んで、毒にも薬にも誰の印象にも残らない当たり障りのないことばかりを話してきて、それが当たり前になっていた。
自分をさらすことが怖くてできなかったのだ。
でも、少しだけ自分を見せて意見を言うこともできるのだと気づく。
そこが安心できる守られた場所だからだ。
そして、そこで今までよく知っているつもりで、実はよく知らなかった自分に出会う。
何も考えず無意識に行っていたことの意味を知る。
あまりに無自覚だから、どうして自分がそういう反応をするかさえ気づいていなかったのだ。
そこにいい悪いはない。いい悪いはないことに初めて気づかせて貰う。
いい悪いではなく、客観的に見て意識的に使えるようになることで可動域が広がるのだ。
つい私たちはいい悪いといった二極思考で、物事を捉えてしまいそうになる。
「内向的だからよくない」「もっと積極的に人と関わらなくてはいけない」「コミューケーションスキルを磨かなければならない」とか、そんな風に。
予め変化することがゴールにあって、その答えもただ一つ…、例えば「積極的な自分になって夢を掴みとろう」といったセミナーであればやっぱり参加することはできなかったと思う。
そこには正しい答えが「積極的な自分」でしかないからだ。消極的・内向的な性格は悪しきもの、欠点でしかない。
自分を押さえつけて矯正して積極的になって、果たしてそれは私なのだろうか。
自分を180度変えるのではなく、別のやり方、別のアプローチの仕方を学びたいと思う。
このセミナーの主催者の先生が初めに言った言葉だ。
「変わるというより、本来の自分を取り戻すセミナーです」
無理に変わらなくていいんだ。ゆっくり自分を取り戻せばいいんだ。
その言葉に励まされて、自分の内面を知る旅を続けている。
そして自分への理解から他者への理解が広がることを期待して。