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健全な対人関係の不足が、様々な問題を引き起こす
[熊本の地震で被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈りしています。]
風邪をひいてから今ひとつ気分がぱっとしない。ぱっとしないどころか鬱々としている。
体調は戻ってきてるけど、楽しいことって何だっけという状態だ。
一度気持ちが切れてしまうと、前向きな気持ちを作っていくのが難しい。
「あの会社に1分1秒だって居たくない。すぐにでも辞めたい」
そんな本当の自分の気持ちに気づいてしまって、どうしたらいいか思いあぐねている。
いますぐにでも会社を辞めたいという切羽詰まった気持ちと、辞めたら暮らしていけないという恐怖感が闘っている。
どうしてそこまで会社が嫌なのか考えると、あの会社には、健全な対人関係が圧倒的に不足しているからだと思う。
以前、ユーチューブの動画を検索していたら平本あきおさんという方が、『アドラー心理学に基づいたコーチング』から、『対人関係論』について話していた。
この方がどういう方なのか、申し訳ないのだがユーチューブで検索するまで存じ上げなかった。
ネットを調べると、コーチングをされている方で、何冊か本も出されているようだ。
アドラーの著作も当たっていないので、ブログで紹介するか迷ったのだが、すごく共感を覚えたので、紹介することにする。
アドラーは、
『健全な対人関係が不足しているから、悩みが起きる』
そう考えました。『健全な対人関係』とは、
家族、職場、コミュニティなどの対人関係の中で、
「自分自身にオッケー」がだせて、
「まわりの人が好き、安心」できて、
「自分は、まわりの人の役に立ってる」こと。そう思える、帰っていける場所があることが、
『健全な対人関係』。『健全な対人関係』を育むこと、
そんなコミュニティを作っていくことが、
うつやパニック障害はじめ、全ての精神疾患の解決になる。
今の会社は私にとって、健全なコミュニティにはなりえなかったのだなと思う。
多分、別な人なら違う考えをするだろう。だから、私にももちろん責任はある。
でも、あの場所は、私自身にとって自分にオッケーが出せるところでも、安心できるところでも、私って皆の役に立っているなと感じられる場所でもなかった。
主に上司との関係性において、仕事を頑張っても取り合ってもらえず、普通に話しかけてもはかばかしい返事をもらえなかったり無視をされたりしてきた。
その度に、無力感や疎外感を味わってきた。
「お給料という対価を得ているのだからそれ以上を求めちゃダメだよ」…そんな風に書いている本やブログを目にしたりする。
確かにそれは的を得ているようにも思う。それで自分を納得させようとした時期もあった。
けれど、多分人はやはりお金だけで仕事をしているわけではないと思う。
対価を得ているのだから、不当に扱われても、評価されなくても構わないというのはやっぱり違うのではないかと思う。そもそも非正規雇用で、対価もすらも十分ではない。
モラハラ・パワハラがもっとひどい会社はいくらでもあって、そういう会社から比べれば、ずいぶんましだとも思ってきたけれど、だからといって無視されても笑ってやりすごせるほど人間ができているわけでもない。
やりすごせない証拠に、身体に色んな不調箇所が出てきてしまっている。
何より一番辛いのは、上司の考えに習って、自らが自らをとるにたらない無能な人物と扱ってしまうことだろう。
自分の評価は何より堪える。
そして、その考えに相応しい無能な自分に自らなっていくのだ。
得意と思われることさえできなくなって、苦しかった。
私のように健全な対人関係の不足で、悩んでいる人はたくさんいるんだろうなと思う。
働きたくても働けない人は、決して働きたくないわけではないのに、健全なコミュニティを構築することができずにあえでいる。
ここにきて落ちてしまったが、しばらく精神的に状態がよかったのは、自分を許容してくれるコミュニティに出会えたからだったろう。
現状の辛さから逃れる為に、無意識のうちに、自分にオッケーを出せそうなコミュニティを探し出したとも言える。
けれど会社以外のコミュニティの存在が、会社にいる時間の自分にまでオッケーを出せるのか、よくわからなくなってしまった。
動画の中で、平本氏が「自分が誰かの役に立っている存在というのが幸福の条件」だと言っているが、本当にその通りだと思う。
小さなことでも、自分が誰かの役に立っていると思えることは、何の為に生きるのかという一つの重要な答えになっている。
会社で他者貢献感が得られない人は、どうすればいいのだろう。
糸の切れた凧のように、思考も宙ぶらりんになっている。