被害妄想に苦しむ統合失調症の人
前、勤めていた会社の上司のお姉さんがこの病気だった。
以前は精神分裂病と呼ばれていた病気だ。日本でも100人に1人が発症すると言われている程、珍しくない病気である。
厚生労働省のホームページによると、以下のように書いてある。
(以下引用)幻覚や妄想という症状が特徴的な精神疾患です。それに伴って、人々と交流しながら家庭や社会で生活を営む機能が障害を受け(生活の障害)、「感覚・思考・行動が病気のために歪んでいる」ことを自分で振り返って考えることが難しくなりやすい(病識の障害)、という特徴を併せもっています。多くの精神疾患と同じように慢性の経過をたどりやすく、その間に幻覚や妄想が強くなる急性期が出現します。新しい薬の開発と心理社会的ケアの進歩により、初発患者のほぼ半数は、完全かつ長期的な回復を期待できるようになりました(WHO 2001)。(引用終わり)
症状は多岐に渡るようだが、幻覚や妄想、知覚の歪み、独語、頭の中が周囲に漏れているような症状が現れるらしい。幻覚や妄想のことは「陽性症状」と呼ばれる。
彼女も幻覚と妄想がひどかった。
この当時、症状は結構重かったのではないかと思う。統合失調症の人が全てこのような感じではないので、誤解のないように読んでほしい。
彼女は働いておらず一人暮らしをしていた。
家と上司(彼女から見れば弟)の職場がごく近かったこともあり、また社長と親戚関係にあることもあって(当然上司も社長とは親戚関係)、職場に度々姿を見せていた。
同族会社の小さな職場だ。職場の皆は、彼女が病気であることを知っていたので、ふらっとオフィスに現れても特に驚くことはなかった。機嫌のよいときは、ひとしきり何かをしゃべって帰っていく。上司に話しかけることが多かったが、私たちに楽しそうに話しかけていくこともある。ただ会話は大抵かみ合わず、独り言のような感じだ。
言ってる意味が定かでなくてもにこにこしてくれていれば対応しやすいのだが、徐々に妄想や奇行が激しくなっていった。薬を飲んでいないのではないかとオフィスでは囁かれていた。
幻覚や妄想があるときは、もう扉を開けた時から形相が変わっているので、それと分かる。
上司に向かって罵詈雑言が飛ぶ。
「ヒロシ(上司のこと。仮名)が私の家に入って来たのは分かっている!」「部屋を荒らさないで!」「私のタンスを勝手に開けないで!」「通帳がなくなった!」
何を言ってるのかその意味はわからなくとも、激高していることは伝わってくる。
上司が彼女の家に行っている事実はなく、妄想だ。けれど現実と妄想の境界はなくなり、彼女にとってそれは紛れもない真実だった。心の中に嵐が吹き荒れていることは傍目で見ててもよく分かった。上司が否定しても、彼女は意にも介さない。
奇行もあった。
被害妄想が高じて、上司に宛てたらしい意味不明な文章が書かれた貼り紙を会社入口の壁に貼る、貼り紙では収まらず、直接廊下や壁にマジックで文句を書く、オフィス前の廊下にゴミや不用品を散乱させる…そんなことが繰り返された。真夏にパック入りの腐った生肉が廊下に放置されていることもあった。
一番の問題は来客がいるにも関わらず、怒鳴り込んでくることだった。事情を知っているお客ならば状況を察してくれるが、事情を知らないお客にはいちいち説明しなくてはならない。上司は彼女が来ると、怒りと諦めの混じった複雑な表情をしていたことを覚えている。
まもなく彼女は精神科に入院させられ、3、4ヶ月程入院した。退院してからも時折上司を訪ねて来たが、ひどい被害妄想や奇行は収まっていた。
話は相変わらずチグハグだったが、「私、前、おかしかったよね? あのとき変だったんだ」と給湯室で話しかけられたことがあった。病気の認識ができているようだった。
「私、結婚したらいい奥さんになれると思うんだよね。」もう彼女は決して若くはない、初老の入り口に差し掛かるくらいの年齢だ。そう言って、はにかむ彼女の孤独は計り知れない。
統合失調症を発症する原因は、ドーパミンなどの神経伝達物質の働きが関係するともされているが十分に解明されてはいない。1つの原因によるものではなく、いくつかの危険因子が重なって発症すると言われている。
特別な人だけがかかる病気ではなく、誰がかかってもおかしくない病気だ。
若い頃は頭のよいお嬢さんだったそうだ。
あの頃オフィスの誰もが彼女をどう扱ったらいいか考えあぐねていた。
上司でさえ深く関わろうとしていないように見えた。
彼女は多分寂しくてオフィスに顔を出していたのだ。
会社を辞めてずっと彼女には会っていない。
今でもときどき、どう接するのがよかったんだろうかと考える。そう思うことも思い上がった考えなのだろうか。
(プライバシーに配慮して、一部ニュアンスを変えています。)