自殺…自ら死を選んだ人
その人のことをよく知っているわけではない。
社会人になりたての頃、付き合っていた人の男友達だった。付き合っていた人のアパートに遊びに行くと、その彼も時折来ていて3人でたわいもないことを話したり、その彼と私が好きだったホラー映画をレンタルして見たりしていた。付き合っていた人は、ホラーは嫌いだったが、仕方なく見ていた。
私は人みしりだったから、彼がいると緊張していたような記憶がある。でも付き合っていた人と彼との友人関係が先にあって、私が割り込んだ形だったので、そういう3人の時間を受け入れていたように思う。彼は内心、気が置けない友人を取られたようで、私のことをよく思っていなかったのではないかと今では思う。私個人がどうのというより、彼の数少ない居場所がなくなったように感じていたような気がするのだ。
付き合っていた人や私なんかより、ずっとランクの高い大学に行っていて、頭は抜群によかった。2手も3手も先を読まれるから、頭脳戦のゲームでは絶対勝てないと、付き合っていた人がこぼしていた。
見た目も悪くはなかったが、野性的で、性的な意味ではなく魂がぎらぎらと燃え立つようなところがあって、そういうところが怖いようにも思えた。声を荒げたりそういうことは一切なく、終始紳士的にふるまっていたが、隠しきれない何かが彼を覆っていた。彼の生い立ちを聞いたことはなかったが、複雑な家庭環境のようだった。
勝手な憶測だが、隠しきれない何かは、猛烈な精神的な飢餓感だったように思う。
クリスマスの日、突然彼が付き合っていた人のアパートを訪ねてきた。食べようと思っていたケーキを切り分けて、差し出した記憶がある。彼は出されたケーキを見て、しまったというような顔をした。
彼はその日がクリスマスだということを忘れていたようだった。「恋人たちの祭典」とも言えるクリスマスに、不用意に訪ねてしまった自分に、腹を立てているようだった。
浮ついたクリスマスなんか関係のない厳しい世界で、彼は生きていたのだ。
居心地悪そうにケーキを食べ、彼はそそくさと帰っていった。とても不遜な考えだが、そんな彼が痛ましく思えた。
それ以来、少しずつ訪問の回数は減り、やがて都会に引っ越したと聞いた。音沙汰もやがてなくなっていった。数年が経って、彼の訃報が届いた。青木ヶ原樹海で彼の遺骨と遺品が見つかったらしい。
青木ヶ原樹海というところが彼らしいなと思った。同時に、そんな自殺の名所を選んだことが不思議な気もした。人と同じことをすることを嫌うような人だったから。
自殺に楽な死に方はないと思うが、青木ヶ原樹海で死に方は、餓死だっただろう。すぐに死ねないこの方法は、思いをめぐらす時間がたっぷりあったと思う。研ぎ澄まされていく飢餓の中で、生への渇望が何度湧き上がったことか。まだ若く強靭な肉体が少しずつ衰えていく感覚を、どうやって受け止めたのだろう。自らを追い詰めた彼には、受け止める以外の選択肢はなかったのだろうけど。
まだ若くタフで動じず、頭脳明晰な彼は、しようと思えば何でもできたと思う。
恵まれた資質があっても、彼にとってこの世界はそれほど生きにくかったのだろうか。彼は潔すぎたのだと思う。頭のよい彼には、自分の限界や埋まらない孤独感が見えていたのかもしれない。彼が自死を選んだ理由は、結局のところわからない。
青木ヶ原樹海を選んだのは、自分を見つけてほしかったのかもしれない。でも、生きにくいこの世界で、潔くあきらめずに、もう少しあがいてみてもよかったんじゃないのと、問いかけてみたいのだ。生きているあなたたを見つけて、あなたの孤独を埋める人だって、現れたかもしれないのに。
タフな彼はもうリスタートを切っているかもしれない。私もあがいている。あなたは今どうしているだろうか。