経済的に余裕のない人
「働きたくても働けない人」のところで、外で働けない人は、ネット社会の今、人にあまり関わらなくてもできる仕事はあるんじゃないか、 というようなことを書いてみた。
ネットオークションで物を売るとか、アプリの開発とか、動画が作れるなら動画サイトでアフィリエイトとか、デイトレーダーとか…勿論簡単な道ではないけれど、外で働く辛さや親の厳しい視線よりは、ましなんじゃないかと思うとも書いた。
けれど、それが簡単な道どころかいばらの道であることは、実は私がよく知っているところだ。
お金がないというのも精神衛生上いいものではなく、生きにくさに通じる。
矛盾することを書いているようだけど、おこづかいを稼ぐではなくあくまで経済的自立を目指さなくてはいけない。
その域に達するのは、かなりの才能と努力がいる。
今はパートで働いているが、その前は在宅ワークというものをやっていた。
webサイトの制作の下請けだ。SOHOといった形で色々な会社から仕事を請け負うのではなく、web制作会社の社長に声を掛けられ、始めるようになった。
情報弱者なので、よくはわからないが、在宅勤務を行う場合においても、雇用関係があれば、労働基準法、最低賃金法、労働安全衛生法、労災保険法等が適用されるらしい。ただ雇用関係があるとは言えないだろうから、最低賃金のことは全く頭になかった。
人と関わらなくて済む仕事に憧れていた私は、誘われるままに勤めていたパートをさっさと辞め在宅の仕事に変わった。
関わるのは、web制作の社長だけだから気安いものである。
時間的には朝8時半から夕方5時半まで拘束された。直しが入ると夕食後に仕事が入ることもある。
ちょっと絵が描けるだけの素人だったから仕事を貰えるのは有難かったけれど、賃金はひと月、数万円だった。
これでは全くのおこづかいである。
家族がいるからどうにか生活できるレベルだ。
家族の収入があるにせよ、余裕のある暮らしぶりでは到底言えない。それでも家で仕事ができることが私は嬉しかった。
在宅の仕事を始める前に社長が「少し経ったら、前勤めていたパートと同じくらい給料出すから」と言ってくれたことも励みになっていた。単純な私はそれが実現するものと思い込んでいたのだ。
当時はわからないかったけれど、今なら社長がただの希望的観測、大風呂敷を広げていただけなのがよく分かる。
そこで私はもっと努力すべきだったんだと思う。社長の技術を追い抜く程に。けれど、漫然と社長に言われるままのことをしていただけだった。ひと月の報酬が10万円を超えることは結局なかった。
夜中、自分がホームレスになってさまよっている夢を見て目が覚めることが多くなっていた。
貧困が気持ちを萎えさせていく。ほどなく今どきCSSも使わずテーブルレイアウトだけのweb制作会社には、仕事が入らなくなっていく。
毎日あった何かしらの私の仕事もなくなっていき、嫌な雰囲気が漂い始めていた。
気が付くと、社会保険はおろか雇用保険にすら入れない状況である。雇用保険に入っていなければ失業保険も下りない。
「お恥ずかしい話だけど、仕事がなくなって今月で終わりにしてほしい」と社長は言った。
「急に今月って言われても困りますので、来月までお願いします」と私は食い下がった。
ああ、終わったと私は思った。
こうして数年に及んだ、人と関わらない仕事は終わりを告げたのである。