他人をランク付け・格付けするのが当たり前の友人と付き合っていたら
<2017.6.10>
以前親しくつきあいのあった友人に、人をランク付けする女性がいた。
ランク付け、つまり格付けとかマウンティング。
つきあい初めの頃は、そうではなかったのだが、いつからかその人に会って帰ってくると、ものすごく疲れることに気付いた。
明るく親しげに接してくれるのだが、一緒にいて楽しくない。
誰かを見下すような発言や、一見自分を卑下しているようで、実は自慢しているような話が多い。何気ない会話も、気づくと彼女の自慢話にすり替わっている。
自慢したくて仕方がないのを、もってまわった言い方で表現するから、ストレートじゃない分、逆にいやらしい言い方に聞こえたりもした。
今思えば、自信がない人なんだと思う。もっと言えば劣等感の強い人なのだと思う。
人を自分より秀でているかそうでないかで判断する。
格付けの分野は、仕事の能力やセンス、女性としての容姿や魅力、服装や持ち物など、色々なんだけど、自分より優れていると判断すれば劣等感を抱き、自分より劣っていると思えば優越感を抱く。
優劣の世界に生きている。
人を優劣で判断すれば、自分も優劣で判断される。人にランクを付ければ自分もランク付けされる。
「同じ女性としてどうかと思うよ。やっかんじゃってさ。うらやましいなら、もっと努力すればいいのに」
不当な扱いを受けると嘆いていたが、それは彼女が招いている。
攻撃して相手のコンプレックスを刺激するから、風当たりが強くなるように思えた。
マウンティングをしかける相手も、何かに突出した人ではなく、彼女が勝てそうだと思える人たち。自分が優れているってことを、証明できそうな、優越感を抱ける相手。
それも彼女の主観なのだけど、そういう相手を見下すことによって得た自己肯定感を、自信に変えているようだった。
けれど、優れた人は世の中にごまんといる。いつも自己顕示欲が満たされるわけではない。
優劣の世界の中で、努力を続け、ずっと戦い続けている彼女は、幸せそうには見えない。
彼女といると疲れるなと思いながらも、彼女との関係は続いていた。
私は、基本自分の自慢話はしない。それはとりたてて自慢するようなことがないのと、努力してまで自慢するようなことを得たいと思わないから、そうしている。
努力するくらいなら負けてもいいと思うような性格だ。
だから彼女に対しても、「うん、すごいね」くらいで流していた。
彼女の秀でたところを肯定していたつもりだ。
けれど、あるとき、何かに秀でてもなく、害にならないような私に対しても彼女はマウンティングをしてくることに気づいた。明らかに下にいる私は、格好の相手なのかもしれないが、友人の少ない彼女にとって、…それは私も同じだが、数少ない味方ではなかったのか。
もっとショックだったのは、彼女にコンプレックスを刺激されると、それに反応して抗いたい気持ちが出ることだった。
それは向上心とかいう前向きなものではなく、上に立って彼女を見下したい、攻撃したいという、イライラとしたささくれ立った気持ちだった。気持ちだけでなく態度にも表れていたと思う。
彼女といると、自分の嫌な面が引き出される。
他の人といるときは出てこない、負の側面が現れる。もちろん私の中に存在するから、出てくるのだけど、それを引き出さない人も確かにいて、そういう人の方が多い。
何かに秀でることが悪いことではない。努力家だったり負けず嫌いであることも、時に美徳だろう。
だからこそ人として向上できることもある。それを否定するつもりはない。
けれど、友人関係の中で、なぜ戦いたいとも思っていないのに、リングに引きずり出されてしまうのだろうか。
友達をライバル視したくないし、闘争本能をかきたてられたくもない。
ましてや、人をランク付けなんかしたくないし、されたくない。
誰かと比べて、それを糧に努力し続けるような生き方もしたくない。
彼女の生き方を否定するわけではない。でも、私には合わないやりかたに思える。
そうせざるを得ない彼女をかわいそうにも思うが、その考え方は彼女に深くしみついていて、私が何か言ったところで変わることは多分ない。
私たちは、誰と付き合うかを重要視しがちだ。
でも、それよりも、誰と付き合わないかということの方が、大事ではないだろうか。
今彼女とは表面的なつきあいしかない。それくらいが丁度いい。
自分が優しくなれるような人と付き合いたいと思う。