まだ他人に会うのが恐怖に感じる、そんな事を言える勇気がないまま3年経ちます
(「みんなの生きづらさ」/投稿者: 3年目 さん)
(※3年目さんは以前に「みんなの生きづらさ」に投稿して下さっています。そちらの投稿はこちら「急に意識が遠ざかる感覚に襲われました」、「1番の理解者である姉を傷つけてしまった」)
薬は終わったものの、中々社会に出ていかない私にしびれを切らしたのでしょうか。こんな事を言われました。
「いつまで売れない絵を描き続けているの?」
その何気ない一言が深く突き刺さり、絵がかけなくなりました。生き甲斐、とは程遠いけど自分にとっては唯一休める時間だったのでその衝撃が激しかったのか、購買欲もなくなっていきました。
幼い頃から物語を考える事が好きで、よく姉妹と話し合ったり一緒に絵を描いて見せ合いっこして、学年が上がるごとに友達とも共有していました。あの頃は成績が悪くても有意義の生活を送っていたと思います。
しかし社会に出るとそんな時間もなく、更に鬱病にかかった結果、思考を止めて何も考えなく過ごしました。
1年かけてその思考が回復して、なんとか友達となら人混みの所に行けるようになるまで治りました。
その間選考には落ちたものの、書き留めていた小説などを投稿して気分を紛らわしていました。
その事が両親の感に触ったと思います。
「そんなに絵を描きたいのだったら専門学校に行けばいいじゃない」
「売れない絵を描いてどうするの」
「専門学校に行くか、就職支援の所に行くか決めてほしい」
「ボランティアにでも行けば」
と言われました。
確かに求人情報を眺めているだけで履歴書も書かない日々を過ごしてましたが、それが親にとっては、ただぐうたらと過ごしていた様に見えたのだと思います。
まだ他人に会うのが恐怖に感じる、そんな事を言える勇気がないまま3年経ちます。
もし言ってしまえば、また薬の生活に戻り、最悪何処かの施設に強制的に連れて行かれそうと考えると言えないのです。私は気分を紛らすのももう許されないのかと思いました。
つい先日運転免許の更新に行き、一つだけ分かった事があります。
他人が怖い、まだ人を恐怖の対象として見ている事を強く感じ、こんなに経っても治っていないのだと痛感しました。
それでも自分でお金を貯めて稼いだお金で物を買いたい。
まだそんな事を思っているのが救いだ、と自分に言いかせて今日を過ごしています。