「いつかこの女に殺される」と本気で思っていました
(「みんなの生きづらさ」/投稿者: ミッドシップ さん)
16才になればアルバイトが出来る、早く働きたいと思ったのは中学生の時だったと思います。
あるチェーン店の寿司小売店で初めてのアルバイトを経験しました。
週4日ぐらいの勤務でしたが、物覚えの悪さ、要領の悪さ、教わったことを理解する能力が乏しくバイト先の長年勤めているおばさま方には見ていて腸が煮えくり返るほどだったのでしょう。壮絶な、そして陰湿ないじめが始まりました。
ガラス張りの店舗の向こうにはお客様がたくさん並ぶ週末。
今とは違い何でもコンピューターや端末で処理するのではなく、注文も商品名が書いてある用紙に数字を記入していく時代でした。30年前の話です。
「あんたがやってると日が暮れんのよ!」と雑巾を投げられたり、閉店後の清掃の時間にはホースの水を頭に被せられ「あーらごめんね、だってあんたそんなところに居るんだもんジャマ!」と笑われました。
狭い店舗で常に私の行動を監視しているそのおばさま方以外、大学生のバイトの方もいましたが店舗を牛耳っているおばさま方には逆らいませんでした。
とにかく何をやっても文句をつけられました。
確かに、もたもたして仕事をテキパキこなせない私に問題があるのは分かっていましたがバイトに行く足がどんどん重くなって行きました。
バイトを始めて三ヶ月頑張れば、流れが掴めてくればと頑張るのですがバイトに出る度に罵声を浴びせられるうちに萎縮してしまいどんどん自信を失って行きました。
1年半耐えましたが限界でした。
バイトなのだから、どうしても合わないと思ったら辞めて自分に合う所探したらいいと思うのですがバイト先のおばさま方とそっくりな行動をとる母親がそれを許しませんでした。
「てめえは何で何をやらせても出来ないんだよ、何ですぐに辞めようとするんだよ絶対許さねえからな!」と胸ぐらをつかんで怒鳴りつけてくるのは母親でした。
母は私が幼少期から暴力が絶えず施設と母親の間を行ったり来たりしましたが「いつかこの女に殺される」と本気で思っていました。
小学生の頃から成績はいつも下から数えた方が早いような状態でした。
勉強の仕方が分からなかったし、ノートに書いても頭に入っていない…そんな状態で高校生になっていきました。
宿題の分からない部分を母に聞きたくても分からないという事が母の癇に障ると母のスイッチが入り暴力スタートです。
暴力の形は様々で身体的なものから言葉まで徹底的でした。
母は暴力と一緒に家中のものを投げてめちゃくちゃにする人、そして元々片付けが出来ない人間です。私はひたすら片付けました。
家・バイト先がこんなです。
せめて学校が楽しいかと言ったら不登校にこそならなかったものの楽しいと思ったことなどなかった。
1クラス50人もいる女子校。女子の集団とはいつもグループ行動で群れる。
どこのグループにも属さないでいると浮いてると思われるのかターゲットにしやすいのか、学校でも嫌われ者でした。
私は今40代半ばです。19才の時に両足の異変に気づき手術を重ね、両手で杖をつけば歩けますが身体障害者です。
何をやってもダメな自分に絶望し7年ほど前にうつ病になり、様々な検査をして「発達障害とは言えないですが、ボーダーラインです。」と告げられました。
知るのが遅すぎたと思いました。本当に遅すぎました。
高校生になって初めてのアルバイトがトラウマとなり、こんな年になるまで職を転々としてしまい、いつも対人関係が原因だったと思いますが仕事が出来ない事というのが人間関係に弊害を及ぼすと思います。
毎日「惨めな気持ち」との戦いが続いて「消えたい」と思って生きている。