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嫌いな人は大嫌いだけど好きな人にはたまらない桐野夏生の小説
桐野夏生(敬称略)の『ハピネス』を読んだ。
嫌いな人には徹底的に嫌われるが、はまる人にはどっぷりはまる、好き嫌いがきれいに分かれる作家だと思う。
私はどっぷりはまった方で、殆どの作品を読んでいるんじゃないかと思う。
元々マンガの原作をやっていた人で、ご都合主義的なマンガっぽい陳腐な展開や、時にストーリーが破綻していたりもする。けれど桐野の物語を読むと、多少破綻していても、リアルじゃなくても、面白ければそれでいいと気づかせられる。圧倒的な魅力を放つ作品は、破綻なく小綺麗に小さくまとめられた、でも印象に残らない作品をはるかに凌駕する。
この場合の「面白い」は、万人にとっての面白さではない。
小説は「共感できるかどうか」ということを軸に語られることが多いが、桐野の作品の登場人物たちは、ほとんど共感や感情移入からは程遠い、共感とは無縁の人たちだ。
悪意があって毒に満ちている。
恐ろしく身勝手で、奔放で放埓、容易に人を寄せ付けない。ぎりぎりのところで生きている。
共感できないから、読んでいくうちにその意味不明な言動や行動の意味がわかるのではないかと期待するが、読み進めても結局わからないまま、謎は深まるばかりだ。最後まで読んでも、毒に満ちた人物たちの真意はわからない。私の疑問は宙に浮いたまま、放置されてしまう。
だからまた別の作品を読みたくなる。
『ハピネス』は、高級タワーマンションに住む三十三歳の岩見有沙が主人公だ。三歳になる娘の加奈と二人で暮らしている。
ママ友たちとどこの幼稚園で入れるか悩むようなセレブな生活。一見絵に描いたような幸せな生活を送っているが、ママ友同士の見栄の張合いに息苦しさを感じ、アメリカに単身赴任中の夫からは離婚を迫られている。
毒や悪意は存在しているが、『OUT』、『グロテスク』、『ダーク』のような犯罪や殺人に結びつくようなものではなく、もっと秘めやかで、現実世界により近くなっている。
タワマンの家賃と生活費として、三十数万円ほどの金額を夫から仕送りしてもらうような有沙の世界は、私にとっては遠い遠い世界だが、ママカーストなど格差の辛さは、女性ならよく見知ったものだ。
今の生活を維持できるかに不安を感じ怯える有沙は、桐野の作品では、珍しく「共感」でくくってもいいのではないかと感じる。一応感情移入できる。
エキセントリックで、どこにいくかわからない登場人物たちより、理解の範疇が及ぶのである。
女性ファッション誌『VERY』で連載していたこともあるのか、ラストも希望が見える終わり方になっている。
毒が現実的なところまで薄まっているので、桐野が嫌いな人も読めるんじゃないかと思う。
桐野はこの『ハピネス』によって、また新たな新境地に達した。
ただ個人的には、全く共感できない、もっと毒々しい作品が読みたい。
桐野は、本によって作風ががらりと変わる作家だと思う。
普通の作家ならば、作風というある一定の傾向があるのだが、桐野にはそれがない。
同じ作家の手によるものとは思えないほど鮮やかに変容していく。
桐野の作品を初めて読んだのは『メタボラ』だった。これは私にとって幸運なことだったと思う。
作風が変化するということは、読み手に合わない、読み手が好まない作風も当然出てくる。
女探偵、村野ミロシリーズの『顔に降りかかる雨』あたりから入ったら、多分桐野の作品は二度と手にしなかったのではないかと思う。
一作目、二作目のハードボイルドで正義感に溢れた真っ直ぐなミロは、十分に魅力的だが私を惹きつけない。
けれど、続く『ローズガーデン』でミロは妖しく変容する。同じ主人公とは思えないほどパラレルな内容だ。
そして次の『ダーク』。ミロは全てを破壊つくす、毒の権化のような存在に成り果てる。
ミロが全てを破壊しつくすように、桐野もまた評価の高かったミロというキャラクターを見事にずたずたに破壊して、全く新しい境地を得た。
そこまでして、新たな作風を得ようとする恐ろしさにぞっとしながらも魅せられる。
賛否両論はあろうが、私は十分すぎる程眩惑され、以後桐野は私とって特別な作家となった。
勝手な言い分は百も承知だが、願わくは桐野の次なる変容が、自分の好みにかなっていることを願わずにはいられない。
『グロテスク』のように圧倒的な筆力によって、力技でねじ伏せられて屈服させられたいと思う。
そしてページをめくる手ももどかしく、少しも共感できない人物に翻弄されて、イライラと寝食忘れてその世界にどっぷり浸かりたいと思う。
そして今、手元には新作の『バラカ』がある。
ドキドキと最初のページを開く。今度はどんな深淵を見せてくれるだろうか。
ハピネス (光文社文庫)