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嫌な出来事をずっと考え続けるネガティブ思考にピリオドを打つ方法
嫌な出来事があってそれをずっと引きずって考え続けるのも、気分を切り替えて別のことを考えるのも、選ぶのは結局自分だと思う。
悲劇のヒロインぶって可哀そうな自分に酔って、自己憐憫の海に漂っているのは、ネガティブ思考に陥りがちな人にとっては、居心地がよいのかもしれない。
もちろん本当の意味で居心地がいいわけはないが、慣れ親しんだいつもの世界だ。
そしてそれは嫌な出来事をもたらした相手へ対する復讐でもある。
あなたのした仕打ちで、自分はこんなにも苦しんでいると心の中で叫び続けているようなものだ。
けれど声なき声が相手に届くことはない。終わったことをくよくよと反芻し続けても、過去が変わるわけじゃない。相手が涙を流して赦しを請うなんて奇跡も起こりっこない。
時間の無駄だし、何よりひとつも楽しくない。
そんなネガティブな思い癖にピリオドを打つ方法として、嫌な出来事にフォーカスせずに、別の楽しいことに意識を向ける方法がある。
意識を逸らす気分転換の引出が多い人は、その気分転換に没頭すればいい。
ただ気分転換の引出の少ない人はどうすればいいのだろう。
ポジティブな思考に意識を切り替えようと努力するだけでは、あまりにも弱い。
幸せなこと、嬉しいことを考えようとしても、無意識のうちに嫌な出来事がぴょこぴょこと顔を出す。
そんなに簡単にネガティブな思い癖がなくせたら、こんなに悩みはしない。
ブログを書いていて思ったことだが、ネガティブ思考を断ち切る方法の一つに、「書く」という行為があることに気が付いた。
嫌な出来事を思い出して書いていると、そのときは嫌な出来事を再体験してますます落ちたりもする。
でも翌日、別の記事を書き始めると、意識は否応なしに書き始めた別の出来事へと移っていく。集中しなくては書けないから、嫌な出来事から意識を無理やり引き離すことができるのだった。
日記を書き終わる頃には、嫌な出来事は過去のものになっている。
なくなりはしないがごく小さな存在にまで矮小化することができる。
受動的な行為では散漫になりやすいが、能動的な行為は集中力が高まるといった感じだ。
一方的に視るだけのテレビと、実際に手を動かして操作するゲーム。ゲームの方がより集中度は高まるだろう。
書く行為も能動的な行為だ。
書くことで、嫌な出来事を連続して考え続けるネガティブ思考に風穴が開く。
風穴をあけてしまえば、手放すことは容易になる。もう終わってしまった過去の出来事にエネルギーを注がなくていい。
一度書いただけではいつもの思考が戻ってくるから、何度も繰り返すとよい。
また拙い言葉でも言語化することで、第三者的な視点を持てる。
不毛な一人相撲を続けている自分がバカらしくなってくる。
これに気づくと、思考は制御できるとわかるようになる。一時動揺しても気持ちを立て直すことができる。
後はポジティブ思考が習慣化するまで、積み重ねていくだけだ。
ネガティブ思考を直して、幸せな思考パターンに舵を取ることは不可能ではない。
いつまでも過去の出来事が頭から離れないという人は、ブログや日記を書いてみてはどうだろうか。