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情熱を注げる趣味や仕事を見つけた人の清々しさ

知り合いの絵の展示会を見に行った。
10人程のグループ展で、小さなギャラリーの中には、絵画の他にも彫刻や木彫やオブジェ等のアート作品が飾られていた。
疲れて早く帰りたかったこともあり、知り合いの作品だけをじっくりと眺め、他の人の作品は丹念に見ることなく流すように見た。
見学者は私の他にもう一人だけ。私より先に来ていたその男性も割と気のない様子で一通り眺め、帰ろうとドアに向かって歩き始めた。一人でギャラリー当番をしていた女性が男性に声を掛けた。
「見て戴きありがとうございます。私の作品、これなんですよ」
若い大人しそうな感じの女性が自分の作品を指さすのが見えた。出品者がギャラリーを当番をしていることはよくある。
モザイクタイルアートというんだろうか、割れたタイルを繋いで絵画のように風景を描いた作品だった。
男性もそれに促されて「あなたのですか。色使いが優しいですね」と応える。
自分の作品をじっくり見てくれた人になら声を掛けやすいが、明らかに興味がなさそうにさっと見ただけの他人に声を掛けるのは勇気がいる。
ひとしきり話をして男性は出て行った。つられて私も話しかける。
「タイルの作品、珍しいですね。あまり作っている人いないですよね」
「そうなんです。あまりやっている人がいなくて」
手で石を割って作っているが思うように割れなくて、何度もやり直して長い時間をかけて仕上げること、段々作っていくうちに更に細かさを求めるようになってタイルがどんどん小さくなること、目地のコーキングの太さにもこだわりがあること、教えてくれる先生がいなくて独学で続けていること…、そんなことを嬉しそうに話してくれる。
タイルアートが好きという気持ちが伝わってくる。生き生きと話す姿に思わず引き込まれる。
改めて作品を見直すと、細かく割ったパステル調のタイルをいくつも敷き詰めたとても手の込んだ作品だ。
草原に立つ素朴な佇まいの家に、明るい日差しが降り注いでいる。
デフォルメされているのに、済み渡った空の空気感まで感じられる気がする。
好きなタイルアートの為に勇気を出して普及活動する女性に、愛おしさを感じた。
私も趣味で絵を描いたりものを作ったりするのだが、その割には、興味のない芸術作品には冷淡だなと胸が痛んだ。
とても手間暇かけて想いを込めて仕上げた作品を、じっくり見ようともしないでゴメンナサイ。
同時に、自分がなくしてしまった制作へ対する真摯な愛情をうらやましく思った。
色々あって以前のように、熱意を持って制作することができなくなっている。
「制作、頑張って下さいね」
最後に声を掛けると、「丁寧に見て下さってありがとうございました」女性が頭を下げた。
清々しい気持ちが胸いっぱいに広がった。