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人は変われる…犬嫌いを克服させてくれたワンコ
小さい頃、犬に噛まれそうになって以来ずっと犬が苦手だった。嫌いというより怖かった。それが小さな室内犬でも。
子供の頃は犬を飼ってる友達の家には近づかないようにしていたし、行くときは友達に犬を押さえてもらって、その間に家に入るようにして徹底的に避けていた。吠えられるのがまずダメだ。犬にしてみれば遊んでほしくて吠えているのかもしれないが、怖がっていることを見抜かれ威嚇されているようにしか思えなかった。
大人になってからも散歩中の犬に出会うと、目をそらし、できる限り離れるよう道の端っこを歩くようにしていた。
姿形や走り回る様は可愛いと思うし、テレビで見ている分にはいいのだが、直接触れ合ったりは絶対に無理と思っていた。
ある日、家族が一匹の犬を連れて帰ってきた。
知り合いの飼い主が急に入院することになり、断れなくて預かったのだと言う。
ドックフードとペットシート、リードだけを持ってやってきた、むくむくの白い小型犬。名前はテンちゃんというらしい。
苦手だから嫌だと抗議したのだが、場合が場合だからと取り合ってもらえない。話は平行線のままだった。触れないのだから、家族が動かない限り、ペットホテルに連れていくこともできない。
最初、不安げな様子で落ち着きなくうろうろと部屋をさまよっていたが、犬好きの家族にエサをもらったり遊んでもらったりするうちに、やがて快活にはしゃぎまわるようになった。もう成犬だったが、まだまだ仔犬のようだった。
その日と翌日は家族が休日だったため、遠巻きに眺めていればよかったが、家族が仕事に出かけてしまうと、そうも言っていられなくなる。
その頃私はまだ自宅で仕事をしていて、テンちゃんとの時間はたっぷりすぎるほどあった。
活発だが無駄吠えもあまりなく人懐こく温厚で従順な犬だということは、この二日間でなんとなく理解できた。
いつまで預かればいのかもわからないのだから、このままの状態でいいわけがない。
腹をくくることにした。
テンちゃんをじっと見ながらじりじりと距離を詰めていく。緊張と恐怖で心臓がバクバクする。
それまでほっておいた私が近づいてくることにテンちゃんも警戒し、耳をピンとそばだてる。
ある程度近くに寄ったところで屈んで、両手を広げ待った。賭けだった。
その意味を理解したのだろう、テンちゃんが胸に飛び込んでくる。
そっと抱きしめると、犬特有の荒い息遣いと速い鼓動が伝わってくる。
テンちゃんも覚悟を決めたのだと思う。見知らぬ場所に連れてこられた今、受け入れてくれる人を受け入れようと。
そこを乗り越えてしまうと、もう怖くはなかった。
私が動くと、とことこと後ろをくっついて回る。ソファに腰かけると、ソファに飛びのって背中に貼りついてくる。ソファや椅子と、人の背中の狭い隙間がテンちゃんの定位置のようで、そこにいると安心するようだった。
飽きると椅子から降りて、大人しく何かしら遊んでいる。
翌日には、リードをつけて散歩にも出かけた。
嬉しくてたまらないといったように好奇心一杯に跳ねまわる。
「何犬?」「可愛いワンちゃんね」
犬を連れて歩くと、知らない人から気軽に声を掛けられることも新鮮な驚きだった。決して味わうことはないと思っていた犬との生活。
慣れない家だからなのか、トイレの失敗が多かったが、それは些細なことで気にならなかった。
吠えない犬だと思っていたが、来客があると激しく吠えたりして、テンちゃんの中では、うちの人とよその人の明確な区分けがあるようだった。
指を舐められり、全身で慕っているしぐさがかわいい。
口の周りを舐められるのはちょっと閉口したが、テンちゃんの流の最高の愛情表現なのだろう。
テンちゃんのことを愛おしく思うようになっていた。
ちょうど1週間が経った日、飼い主が退院したと聞かされた。翌日家族が飼い主の家まで返しに行くと言う。
テンちゃんのためを思えば嬉しいことだが、素直に喜べない自分がいた。
その日どうしても出かけなくてはいけない用事があり、急いで用事を済ませて、最後の時間を一緒に過ごそうと息を切らして家に帰った。
でももうテンちゃんはいなかった。
次の日まで待てななかった飼い主が引き取りに来たのだという。
飼い主に会ってはしゃぎまわる姿を見なくてよかったという気持ちと、もっと一緒にいたかったという気持ち、胸にポッカリ穴があいたような空虚感が、ない交ぜになって、思わず涙が零れた。
犬に愛される幸せを教えてくれたテンちゃんに感謝している。
怯えて威嚇するような犬だったら、犬嫌いに拍車がかかっただけだっただろう。
吠えまくる犬はともかくとして、散歩中の犬を避けて端を歩かなくてよくなったし、犬の鳴き声が聞こえても鷹揚に構えていられるようになった。犬嫌いは克服できたと思う。
ときどきテンちゃんのことを懐かしく思い出す。家族に話を聞いてもらうと、元気にしているようだ。
「人は変われる」…そんな言葉はよく聞く。頭では分かっていても、体感的に理解することは少ない。
テンちゃんはそれを証明してくれた。特別なことは何もしないで、ただそこにいるだけで。
ありがとう、テンちゃん。