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別れた好きな人を忘れてしまう自分に罪悪感を覚えるとき
<2017.4.20>
物事には終わりがあって、永遠に続くように錯覚していたことも、ある日終わる。
永遠を誓った二人にも別れが訪れることがある。昨日まで確かにあった普通が、今日にはもうない。
Dreams Come True の「二人のDifference」という曲がある。
「私だけが忘れない あなたはすべて忘れて
毎日の中で少しも私を思い出さないの」
そんな切ないフレーズが耳に残る。
好き合った二人が別れるとき、大きな喪失感が伴う。
それはお互いが感じる感情だと思うけれど、想いを残した側がより強く感じる感情だと思う。
もうその人に会うことは叶わなくなり、物理的に触れ合うこともなくなる。
お互いを一番にわかっていたはずなのに、新しく起こった出来事が更新されることもなく、知らないことばかりが積み重なっていく。二人の共通の思い出も、どんどん古びていく。
私に起きた新しい出来事、悲しいこと、嬉しいこと、心が動いたことも、その人は知ることはない。
一番親しかった時期はとうに去り、関係はみるみる稀薄になっていく。
別れで一番堪えるのは、二人で過ごした時間がどこにも存在しなくなることではないだろうか。
時間をかけて二人で築いてきたものが、何一つ残らないという恐ろしい虚無感。
だから、「あなたが忘れても私は忘れない」と思うのではないだろうか。
少なくても自分が忘れなければ、二人の時間は、なかったことにはならない。
忘れられないのではなく、忘れたくない。
必死に忘れまいと、昔の記憶をかき集める。
忘れたくないのなら、忘れる必要はない。
けれど、ふと日常に紛れてその人の記憶が曖昧になっている自分に気づくことがある。
本当に愛していなかったのではないかと自分を責めたり罪悪感を覚える。
でも、愛情が少なかったわけではない。喪失感を感じることだけが愛情ではない。
忘れてしまっても、その人との関係は確かにあった。
その人との関わりが、今の自分を作っている。その人が全てを忘れても、私の痕跡をどこかに残している。人との関わりがその人の人格や精神を作っていくのなら、二人の関係は、互いに作用した。
全てがなかったことにはならない。
だから、自然に忘れてしまうことを自分に許してもいいんじゃないだろうか。
忘れてしまっても、その人の存在は私の中に確かに存在している。
もう触れられなくても、想いが届かなくても、その人の幸せを願える日が来たということなのだから。