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生きづらい完璧主義を克服して、生産性を上げる方法

私もそうだが、完璧主義者は、完璧にやろうとするあまり逆にやろうとすることが出来なくなるという矛盾を抱えている。
まだ準備ができていないことを理由に、最初の一歩を踏み出せない。
途中までやっても、成果物が完璧ではないために人前で見せることができなかったり、自分が求めるものと自分が仕上げられるもののギャップに、途中で投げ出すことも多い。
生産性が著しく悪いのだ。
ここを勉強して準備ができたらやろうとインプットばかりに精を出す。
そうでなければ、今はやる気がないからやる気を出す為に、とりあえず自己啓発本なんかを読んで自分のモチベーションを高めようとする。
でも多分準備が整うことは、永遠にない。
インプットは、アウトプットと併せて、初めて活きるものだと思う。
学校の勉強がインプット中心だからだと思うがインプットをしていると成長しているように感じられるが、本当に仕事で成果を出す人は、アウトプットがうまい。インプットだけしているうちは、前に進んでいるようで実は少しも前に進んでいないことが往々にしてある。
主観だが、結果を出せる人は総じてとっかかりが早い。まず実際にやってみて動いている。
成果物としては、本人からしたら5割とか6割程度の完成度なのかもしれないが、やってみることで見えてくる何かを皮膚感覚で掴んでいく。
例え失敗だったとしても、次からは失敗したやり方とは別の方法でアプローチしていくから、徐々に成功へと近づいていく。
けれど、完璧主義者の多くは、失敗を恐れてやろうとしない。
完璧にやろうとすればするほど、最後まで仕上げることができなくなってしまうのだ。
結果、All or nothingで「ゼロ」になっているのだ。
どう考えてもゼロよりは、5割でもやった方がいいに決まっているのに、完璧主義者は不完全なものが許せない。
こだわりが強すぎる。
とりかかるまでに膨大な時間を費やす。やらなくちゃお化けに取りつかれながら、逃避行動を続けるのだ。そうすれば一見楽だから。
実際やることで向き合わなくてはならない、現実に向き合わなくて済むから。
でも実際は、やりたくなくて先延ばしにしているとき、さぼっているように見えて、多大なストレスに晒されていて、心の平安はない。
いきすぎた完璧主義は、生きづらさに通じる。
自分への要求のレベルを落とすことも必要なんだと、改めて思う。
そして、完璧主義者は、優先順位がつけられない人でもある。
さして重要ではないことに100%を追及して、疲労困憊してしまう。タスクが増えた時はもうお手上げになる。
多分完璧主義者は、時間は永遠にあるという幻想に中で生きているように思う。
永遠に生きられるのなら、全ての事柄に100%を求めてもいつかは完成するかもしれないが、時間は有限。生きられる時間、ひとつの物事に費やせる時間は限られている。
頭ではわかっていてもリアルには想像できない。
それが骨身にしみるのは、時間が有限とわかる体験をしたときだけだ。
完璧主義でない普通の人は、当たり前のことだが、時間は有限だと知っている。限られた時間で、アウトプットし続けていく。
一番わかりやすいと思うのは、マンガだったりする。
連載初めの頃は、絵があまりうまくないマンガ家と思っていても、コミックスを読み続けていくと、抜群に絵や表現が上達している場合がある。
締め切りという究極の有限性の中で、培われた賜物だ。
絵が変わってちょっと…と嘆く読者もいるし、完璧主義のマンガ家だっていると思うが、厳しい有限性と折り合って物語を紡いでいく姿勢には、感動を覚える。
何かやるときは、何時まで、何日までと時間を区切ってやることにした。
ゲーム感覚で、間に合うか間に合わないかを楽しむのだ。くだくだとやろうかやるまいか悩んで、先延ばしにする時間を作らないことでもある。
自分を認め、5割でも6割でも完成させたことに意味があると、考えを切り替えた。
逆にやらないと決めたら、やらない自分に罪悪感を持たないでゆっくり休む。
完璧主義を克服するひとつの方法として実践している。