想像しているときが一番怖い…逃げれば逃げるほど怖くなる
<2016.12.26>
今年一番のチャレンジとして、ちょっとしたワークショップのファシリテーターをする機会があった。
ファシリテーターというと大それた感じだが、小さなワークの司会進行と言ったもの。
内向的でコミュ症の人間なので、人前で自分の意見を言うのもすごく抵抗感がある。
それがまわってきたとき、正直ものすごく嫌だった。
その日のことを考えるだけで、気が重くなる。
やることを進めてくれた人にも恨みがましい気持ちが出てくる。
ワークショップを通して伝えたいことがあったはずなのに、それらはどこかに飛んで、やりたくない、逃げたいという気持ちだけが先に立つ。
失敗したらどうしよう、わざわざ足を運んでくれた参加者をがっかりさせたらどうしよう、そんな思いがぐるぐる回って、「やっはりできません」という言葉が口を衝いて出そうになる。
その日が来るのが怖くて仕方がなかった。
これをきっかけにかなり状態が落ちた。
そんなとき、ネットで見つけたマザー・テレサの言葉を目にした。
「神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ」
何となく感じるところがあった。
「そうだ、挑戦するだけでいい」と思うことにした。
うまくやらなくてはと思うと、ハードルが一気に上がる。だからそう思うのをやめた。
参加者や、自分の体裁、主催者の気持ちに応えたいとか、一旦色々なことを棚上げして、挑戦するだけ、会場に行って司会をすることだけに専念すると決めた。
当日は、参加者の話を聴くことより、自分が話す内容にばかりに気が向いて、参加者目線ではなかったなとか、もっと引き出しがあったら内容が充実したのにとか、焦って全然余裕がなかったなど、色々反省点は残った。
反省点は残ったが、結果として、一つのチャレンジをクリアできた。
他の人にとっては何でもないことかもしれないが、私にとっては大きい。
臆病者で、色々な場面で、いつも逃げてきた。
チャレンジすることから降りて、自分を守ってきた。
逃げることが悪いとは思わないけれど、どんな場面でも逃げ続けていると、逆に自由じゃなくなって苦しくなる。
何かをしたいけれど怖くてできないと思うとき、嫌なことから逃げれば逃げようとするほど、それは現実よりもっと大きなものになった。
逃げれば逃げるほど怖くなる。想像しているときが一番怖い。
チャレンジする前、それはとてつもなく大きくそそり立つ壁で絶対に乗り越えられないと思えたが、終わってみれば、それはただのイメージの産物だったとわかる。
大変だったけど、そこまでではない。
もちろん怖い気持ちはある。もう一度同じようなことが回ってくれば、またやりたくないと思うだろう。
ただ、今回の経験で一つ気づいたことは、怖気づいたままでも、できなくはないということ。怖いと思いながらも行動ってできる。
これまで、その恐れを何かで解消してから、行動を起こそうと思ってきた。
トラウマを解消すればとか、こんなマインドで臨むとか、ゲンを担いだりとか…だけど恐れをゼロにする魔法みたいな方法ってない。臆病は多少ましになることはあっても治らないし、一生付き合っていくことになると思う。
多分私と同じように、恐れを解消してからでないと行動が起こせないと思っている人は多いんじゃないだろうか。
そして、恐れを手放すだろうと思われることをたくさん試す。
でも臆病のまま「怖い怖い」と思いながらも、行動って起こせる。
多分、次に引き受けるときは、怖じける気持ちはもう少し減っているんじゃないだろうか。
希望的観測を込めて、そんな風に思ってみる。