ブログを書く目的について考えてみた
<2016.11.3>
ある人からブログを書いている目的について聞かれたので、今日はそのことについて触れてみたい。
ブログを始めた頃は、日常で感じる生きづらい気持ちをただ書き散らかしていた。
病気など、歴然とした苦しみにに比べたら瑣末な取るに足らない悩みかも知れないけれど、一見普通に見える人間にも苦しみや悩みがあることについて、書きたくて書いていた。
ただの愚痴に近かったかもしれない。
今は少し違ってきている。
スピリュアルのセミナーなどに通って一番苦しいところは脱して、自分が少し楽になったので、そのことを伝えたいと思って書いている。
スピリュアルの先生から、「内向的な人、人生の色々の場面で引きさがりがちの人って、こういう苦しみを持っているよね」と、その苦しみの内容について語ってもらったとき、自分の世界を言語化してもらえたようで、すごく癒されるものがあった。
この人は同じ悩みを抱えてはいないかもしれない。けれどこの世に、この悩みがあることを知っていてくれる、そのことに救われた。
誰かが言語化してくれないと、自分の悩みって世界中のどこにも存在していないのではないかという気持ちになって、それが苦しかったんだと思う。
自分の悩みって特殊なものだと思ってきた。でもそうではなくて、少数派かもしれないけれど、集団の中には同じような悩みを抱えた人間が一定数いるんだと、今ではわかるようになった。
今が辛くても、それは永遠じゃなくてただの現在の状況にすぎない。時が流れていけば状況も変わる。
そこに気づかないと、永遠の地獄の中で彷徨っているような気分になってしまう。
繰り返して言うけど、それは永遠じゃなくて、ただの通過点だ。
そういうことを今苦しんでいる人に伝えたい。ときに文章がネガティブに振れるけど、人間だからそれもありかなと思う。
誰かを助けてあげるとか、不遜なことは考えていない。
助けるてあげるということは、結構上から目線のように思えるし、助けるって、もしかしてその人の生きる力を奪うことにも繋がるのかもしれない。
私のやり方が合う人も、そうでない人もいると思う。
変わるか変わらないかは、その人次第だと思うから、こうしたら絶対楽になるとか、そういう無責任なことも言いたくない。
助けるというスタンスではなくて、「気づいたからやっているよ、もし合うようなら試してみてね」という感じで書いている。
あまりお説教くさいのは好きじゃないけど、ときにそんな文章になっていたら申し訳なく思う。
本当にこうして読んでもらえることが、ブログを書く一番の原動力になっている。
先日、以前「みんなの生きづらさ」に投稿下さった方から、就職が決まったというメールを戴いた。
投稿して下さったときには、働けない辛さを書いてくださったのに、その鮮やかな転身に胸が熱くなる。苦しい中動くことが、どんなに勇気がいることだったか、想像するに余りある。
このブログが励みになったと綴られていて、感謝の気持ちでいっぱいになった。
そして改めて考えたことだが、ブログを読んで下さる生きづらさに悩む方が、今が辛くても、現状を変えていく力を自分が持っていることに気づいてもらうことが、このブログの最終目的なんじゃないだろうかと思えてきた。
勇気を出して動けば現状は変えられるし、人はみんなその力を持っている。
自信を失っているから、自己肯定感が持てないから、そのことに気づけないだけにすぎない。
動かなければ、自信を回復する機会をずっと失ったままだ。
私や投稿者の方が特別なわけじゃない。みんなその力を持っている。
休むときも時には必要だけど、十分休んだら、もう一度勇気を出して外に出てみてほしい。
今後もそういうことを書いていきたいと思う。
最後に、投稿者の方の未来が、またブログを読んで下さっている方の未来が、明るい光に満ちたものであることを願っています。
ありがとうございました。