恋人のメールを見ないではいられない猜疑心、不安感の強い人
「彼のスマホをチェックしていたら、浮気してたんだよ。許せない」
知り合いがそういうのを聞いて、少し驚いた。
「彼が見ていいと言ったの?」
「もちろん彼のいないところでだよ」
他人のメールを見ても、それを悪いことだとは思わない人なんだと思った。
浮気は許せないことだろうが、携帯やスマホのメールをいちいちチェックされるのはたまらないなと思う。
私は見ない。
世の中には、グレーのままでいいことの方がたくさんある。知らなくて済むことなら知りたくない。
他人のスマホを見るのなんか面倒くさいだけのように思える。
見ることで、余計なことを引き込んでしまうのが嫌だ。
浮気などやましいところがなくても、自分のメールを見られるのもいい気持ちはしない。
やましいところがないならいいじゃないと言う人もいるかもしれないが、自分は相手の所有物ではないから、全てをさらけ出す必要はないように思う。
縛り、縛られる関係は、とても窮屈だ。
二人の間でメールを見せ合うような同意が出来ているのなら、他人の口出しすることではないが、彼女の場合は、そうではないだろう。
それは愛情なのだろうか。
それとも、彼女がメールをチェックせずにはいられないような、不安にさせる兆候があったのだろうか。
「何か、それっぽいことがあったの?」
「何となくね。女の第六感。結構わかるものだよ」
彼には同情するが、メールを見ないではいられない彼女も生きづらい人なのだと思う。
一度でも見てしまえば、二度、三度と繰り返してしまうだろう。
そして、浮気の事実があれば余計にメールチェックはやめられなくなるだろう。
猜疑心を拭い去ろうとして、彼の行動を確かめれば確かめるほど、不安感は増し、責めれば責めるほど彼が離れていくように思えるのだ。
彼女が自分の知らないところでメールチェックをしていて、自分のことを愛してくれているのだと感じる人がどれだけいるだろうか。
恋人が離れていくのは恐怖だ。
だけど、人の気持ちに縄はつけられないように、いくらメールを監視し続けても、離れていこうとする人の心は止められはしない。
関係が壊れるときは壊れるし、壊れないときは壊れない。
不安感や猜疑心を抑えて淡々と付き合った方が、精神衛生上いいような気がする。
感情が激しいほどドラマチックだが、恋と違って、愛とはもっと静かなもののように思える。
いつでも見ていいからと、スマホを差し出すような大らかな男の人でなければ、彼女の不安感は払拭されないのかもしれない。