「余計な事を喋るな」という圧力でいっぱい
<2021.1.12>
(「みんなの生きづらさ」/投稿者: pixy さん)
(※pixyさんは以前に「みんなの生きづらさ」に投稿して下さっています。そちらの投稿はこちら「「言いっぱなし聞きっぱなし」の自助グループ」
何でも話せる自助グループにつながり、助かる気持ちがある一方で、そこから一歩外に出ればもう、「余計な事を喋るな」という圧力でいっぱいだ、と感じます。
近所の酒屋には、「男はメソメソせずに黙って酒を飲め」なんて文を貼り出してあります。
「傷ついてデッカイ奴になれ」「耐えて花開く」ことを唄う曲が、感動ソングとして推されることもあります。
ベテランの作家の方がテレビで、「泣いてもいいが泣き言を言うな」と話していました、コロナ禍の今だからこそ日本人に大切なこと、として。
表現することの専門家が、他者には「黙れ」と言う…
何事も黙って我慢する、それが当たり前、国の伝統文化と思って、思わされていたから、根深さを思うと、気が遠くなります。
どうして生きづらいのか、について[ 話すな・考えるな・感じるな] というルールから抜け出したい。作家のように話せなくても。
しかし、理不尽な怒りにしない(正義マンのような)ように、自分の思い、考え方、行動を、自罰しないように見つめ直していこうと思います。