私は欠陥品だなと思います
<2021.10.24>
(「みんなの生きづらさ」/投稿者: まる さん)
私は欠陥品だなと思います。
みんなが普通に分かりできることが、私にはわからずできません。
具体的には、人間関係で、他人に共感や思いやりを持つことが苦手で、他人の気持ちや苦しみを想像したり、自分の言動が他人にどう思われるかを想像する力が弱く、学生の時も、社会人になってからも、友人を作りにくかったり、他人や上司などに嫌われたりしてしまいます。
多分、視野も興味も狭く、他人との境界線が曖昧で、感情や思い込みが暴走して、他人の境界線を暴力的に踏み込んでしまうのだと、後で思います。また、自分の思うことがいつも正しく思い、目的達成のために、他人を使おうとしてしまうのだと思います。多分、普通の人は、普通に生活する中で、他人との距離感や付き合い方を自然と学んでいくことができるんでしょうけれど、私には、それができないようです。
嫌われるのが嫌だといつも思いながらも、自分の行為の結果、人から嫌われるということを繰り返してしまうのです。
私の育てられ方が悪かったのだと思っていましたが、最近付き合いが復活し、両親は普通の人で、親切だと気がつきました。私の特性の問題なのだと思います。
私は人間関係で、頑張ってもいろいろ勉強しても、自分で関係を破綻させてしまいます。だから、我が子を辛い思いをさせないように大切に育てたいと思っていました。
でも、結果としては、共感性にも思いやりにも欠ける、なのに過干渉な育児スタイルだったのでしょう。子は13歳になってすぐくらいに、家出をし、音信不通となりました(居場所はわかります)。私のことが怖かったと、トラウマだとのこと。鬱状態、不登校にさせてしまいました。
私は学校や会社での人間関係が辛く苦しく、家庭にも居場所がないと思っていたので、我が子にはそんな思いをさせたくない一心だったのに、最高に強烈な毒親になっていたということ。子どもが家出して、半狂乱になり、鬱病になり、他の家族や親戚を巻き込み、怖がられ、自分でも良くないと思い、今は離れて暮らしています。
親を信頼して慕えなかったり、人間関係で傷つきも多く、不安と心配を避けるために子どもをコントロールしようとしていたと気が付きました。不安定な愛着関係だったのだと思います。
神様は私を成長させるのにちょうど良い試練を準備してくれている。なんて考え方もあるようですが、そんなの要らない。私は子を幸せにして、良好な親子関係を作りたかっただけなんだ。なぜ、みんなが普通にしていることが私にはできないのか。それで、なぜこんなに苦しみを味あわなければいけないのか。なぜ、子を病気にまでさせてしまったのか。あの子は親の愛やら承認やら安心を求めて健気に頑張っていたのに、両親が好きだという気持ちやら安心感やらを与えてあげることができなかったのか。
後悔、罪悪感、自己憐憫ありすぎて辛いです。
努力しても、勉強しても、普通にできないどころか、他人を侵害して支配しようとしてしまう自分がとても恐ろしいです。
私は、欠陥品だなと思います。しかも危険人物だと思います。 我が子を苦しめたことに囚われ、精神病になり不安が強く自罰感もあり、体も感情も自由が効かなくなり、他の家族からも離れて暮らさなくてはならなくなり、家族のもとへ戻ることも、親戚から不安がられるようになり。
幸せになりたい。仲良くしたい。安全に暮らしたい。そう思って努力しているだけなのに、きっと人からはそうは見られなくて。自らが危険人物で。辛いです。いつも、人から嫌われてから気がつきます。
混乱と苦しみに半狂乱だった時期はすぎ、今はただ呆然としています。
欠陥品のわたしは、人に害を及ぼすだけだし、親の責任も果たされへん。消えてしまいたいなと思います。自分がおかしいことが分かっていても、直すことができない。人生には落とし穴がいっぱいあって、普通の人はちゃんと分かって避けられるのに、私には避けることができず、はまり、その中にあった手榴弾を周りに投げつけてしまうような感じです。助けてくれようとする人にも、助けてもらいたい一心で知らずうちに境界線を侵害して自滅してしまいます。
これまでの人生で、そんなわたしの一面を散々注意されてきただろうに、だから、本読んで勉強するのに、やっぱりわからないのです。
人間は成長できるはず。何歳からでも変わることができる。と聞きますが、過去は戻ってきません。
こんなに苦しい思いをするばかりなら、自分で人生を終わらせたいなと思ってしまいます。